2011年06月07日

ランボー3/怒りのアフガン (Rambo III)

監督 ピーター・マクドナルド 主演 シルヴェスター・スタローン
1988年 アメリカ映画 102分 アクション 採点★★★

ビジネスとしてうま味たっぷりなせいか、続々と作られるシリーズ作。半端にヒットした一作目を引きずった二作目なんかには、一作目の面白さが記憶に新しいだけに大きな失望を覚えた事も多々。でも、キャラクターや見せ場だけがエスカレートして、一作目の面影を微塵と感じさせなくなるまで壊れた三作目くらいにもなると、それはそれでその壊れっぷりが結構好きになってきちゃったりも。まぁ、“好き”だってだけで“面白い”ってわけじゃないんですが。

ramt1.jpg

【ストーリー】
アフガニスタンでロシア軍に捕えられたトラウトマン大佐を救い出すため、ランボーは一人アフガンで大暴れ。無事大佐を救い出したランボーは、大佐と共により一層大暴れ。そこへアフガンゲリラも合流し、ロシア軍相手にみんなで大暴れ。

ramt4.jpg

ランボー自身は渋っているが、結果的にアメリカによる外国への軍事介入を良しとしてしまう、全くランボーである必要のなくなったシリーズ第三弾。前作『ランボー/怒りの脱出』で第2班監督を務めていたピーター・マクドナルドが、撮影開始早々クビになった『バイオハザード III』のラッセル・マルケイに代わってメガホンを握る。
100分少々で108人も死ぬってんで、“最も暴力的な映画”としてギネスにも載った本作。戦う意味も場所も全くランボーである必要もない本作には、ほとんど物語はないといっても過言ではないのかと。戦闘シーン中にちょっと部屋から出て戻って来ても、上半身裸でテカテカ光ったスタローンがまだ戦ってる、ある意味とっても親切な作り。一作目『ランボー』の面影など微塵も無くなってしまった作品ではあるが、ザックリとしたランボーのイメージを拡大していったら、筋肉と暴れっぷりのみになってしまった本作の筋肉映画末期的な感じは、決して嫌いではない。もちろん、面白いかどうかはさて置いて。

ramt3.jpg

「次はどんな映画だろー?」ってよりも、「次はどんだけ筋肉を盛ってくるんだろー?」ってのが興味の大半だった頃のスタローン。本作はある意味その頂点で、これ以降人気に翳りが見え始めてしまうことに。ただ、内容がないだけにキャラクターを膨らませたかったようで、子供とも果敢に絡む本作のランボーは結構喋る。大佐に訓練の成果を聞かれ、「あんまり効果ないよ」と軽口をたたくお茶目な部分まで見せている。まぁ結構喋ってるとは言っても、エディ・マーフィだったら3分もかからないくらいの全セリフ量なんですけど。因みに、ゲリラ戦の猛者であるはずのランボーがプロレス技を多用するのは、多分本作も含めちょこちょこスタローン作品に参加しているテリー・ファンクの影響かと。
トラウトマン大佐役には、もちろん前2作でも演じたリチャード・クレンナが。シリーズを重ねる毎に出番が増えてくる大佐ですが、本作ではいよいよランボーと共に戦う羽目に。ただまぁ、その歳とキャリアでアフガンに送り込まれてしまうのもどうかと思いましたが

ramt2.jpg
何をしているのか分からなくなってきた頃

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogram投票ボタン   人気ブログランキングへ

        

        

posted by たお at 00:49 | Comment(0) | TrackBack(1) | 前にも観たアレ■ら行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月04日

リトル・ランボーズ (Son of Rambow)

監督 ガース・ジェニングス 主演 ビル・ミルナー
2007年 フランス/イギリス/ドイツ映画 94分 ドラマ 採点★★★★

子供の頃、『キングコング』でその面白さを知り『ランボー』にハマっちゃったことで、その後映画浸りの人生を送ることになっちゃった私。出会いってのは大事ですねぇ。親としてはウチの子供らも映画好きになってくれれば嬉しいもんですが、それ以上に好きな物が見つかるならそれはそれでいいかなぁと

sora3.jpg

【ストーリー】
1980年代初頭のイギリス。TVや映画など、俗世間の娯楽を一切禁じる厳格なキリスト教徒の一家で育ったウィルは、ある日学校一の悪ガキであるリー・カーターと出会う。彼の家でたまたま『ランボー』を観てしまったウィルは強い衝撃を受け、すっかりランボーに夢中。ランボーの息子に成り切り、リーと共に自主製作映画を作り始めるのだが…。

sora4.jpg

銀河ヒッチハイク・ガイド』のガース・ジェニングスが、自身の体験を基に描いたノスタルジー溢れる一本。『ランボー』がノスタルジーの対象になっちゃうんだなぁと、若干感慨深くも。
ただでさえ多感な時期なのによりによって最初に出会った映画が『ランボー』じゃ、そりゃぁやられちゃうよなぁと、出だしからとっても微笑ましい。厳格な教えに縛られ自分を抑え込んでしまうウィルと、家族の愛に飢えているが故に悪事を繰り返し、唯一そばには居てくれる兄を一方的に愛するリー・カーターという、まるで違う家庭環境と性格を持ちながらもそれぞれ大きな問題を抱えた坊主二人が、子供らしい無邪気で無鉄砲な映画作りを通して友情を育み、それぞれ抱えるもんだいから解放されていく姿を、男子の脳内で常に走り回っているイマジネーションの産物を随所に散りばめながら描く本作。80年代初頭を舞台にしておきながらも使われる楽曲に随分大きな時期の幅があったり、若干の散漫さも否めない作品ではあるが、全体を包み込む微笑ましさもさることながら、問題への決着点が思いのほか痛快で好み。映画的にも派手なリー・カーターが迎える締め括りも悪くはないが、厳格な教えにがんじがらめになっていたウィルの母親が本当に大切なものに気付く様が、「最近怒ってばかり…」の前フリも非常に効いていてとっても印象的。下心丸見えの同胞を、静かに且つ力づくで追い出し、背後から塩を投げつけるが如く喝采を挙げる締め括りは、母親以上に長い間教えを守ってきたであろう祖母の眼差しの効果も相まって、かなり痛快。
笑いあり涙ありで心温まる作品であるし、なによりも『ランボー』に夢中になる子供の姿を描く作品を嫌いになれるわけがないので高評価を。だからと言って、『ランボー・ジョーダン/捕虜救出作戦』や『ランボー者』も好きってわけじゃないので誤解なきよう。確かに“リトル・ラン坊主”ってダジャレも頭をよぎりはしましたが。

sora2.jpg

自分がランボーに成り切るのではなく、ランボーの息子となり捉えられたパパ・ランボーを救い出そうとする姿に亡き父への想いが垣間見えるウィル役には、本作がデビュー作となり、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』では幼少期のマグニートーを演じるビル・ミルナー。ピュア過ぎるが故に、悪気のないまま相手を傷つけてしまう様を好演。免疫がない為か、「コレいいね!すっごくカッコ良いよ!」と何でも褒めちぎり相手の気分を良くする様は、確かに映画監督向きだなぁと。
一方、親から愛情を満足に受けられないが故に、むやみやたらにイタズラを繰り返す反面、好きな相手には一方的な愛情を注いでしまうリー・カーター役には、これまた本作がデビューである『ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島』のウィル・ポールター。自分とウィルの二人だけの世界であった映画制作の場に次々と人が入り込み、ウィルと映画が自分の手から離れてしまうことに嫉妬と怒りを感じる様を、まんまそんな子が出ているかのような自然さで好演。リー・カーターもまたランボーを演じるのではなく、ランボーにとって父親のような存在であるトラウトマン大佐を演じるのだが、リーもウィルも父親を求めながらも、息子に扮するウィルと父親に扮するリーという、性格の違いをこんな所で見事に表現されているなぁと感心。
その他に、『ショーン・オブ・ザ・デッド』では最強サバイバーだったジェシカ・スティーヴンソンや、その絡みもあってか『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』のエドガー・ライトもちらりと顔を出しておりましたよ。

sora1.jpg
“リトル・ランボズ”の方が良くない?

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogram投票ボタン   人気ブログランキングへ

        

        

posted by たお at 14:06 | Comment(8) | TrackBack(27) | 前にも観たアレ■ら行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月26日

ロサンゼルス (Death Wish II)

監督 マイケル・ウィナー 主演 チャールズ・ブロンソン
1982年 アメリカ映画 92分 アクション 採点★★★

えてしてシリーズ作って、一作目のヒットにあやかろうっていう、ビジネスとしては堅実ですけど志としては低い作品が主流なんで、一作目の面白さを期待しちゃうと肩透かしを食らう場合が多いですよねぇ。でも、そんな志の低い作品でも、ゴール地点のハードルを思いっきり下げて開き直っちゃった物だと、案外楽しめちゃうことも。『ロボコップ』に対する『ロボコップ3』みたいに。まぁ、アレは決して褒められる作品ではないんですけど。

dewt2.jpg

【ストーリー】
ニューヨークを離れ、ロサンゼルスで平和に暮らすポール・カージー。しかし、街の不良に家政婦と愛娘を殺されてしまい、彼は復讐の為に再度銃に手を伸ばすのだが…。

dewt5.png

復讐や自警の是非を問うた『狼よさらば』の続編。監督は引き続きマイケル・ウィナーが。
復讐が動機だったはずが、犯人そっちのけで若者狩りに勤しんでいる内に殺しそのものに悦びを感じ始めてしまう主人公と、標的が犯罪者であるとは言え、殺人者であることには変わりのない主人公の行為に喝采を浴びせる大衆の姿を皮肉めいた視線で描いた前作とは打って変わって、復讐の行為に的を絞った本作。その行為を正当化したい為か、犠牲者が暴行される様を徹底的に描いているのも特徴的。
ただまぁ、連れ去られた娘の安否も分からない事件直後から主人公は殺しに行く気満々で、そこに至るまでの溜めや感情の爆発が全くないのはどうにも。それが敢えて狙ったものであれば「ほう!」となるのだが、どうもそんな感じは微塵もせず。主人公の障害となるのも、主人公は娘を殺されたばかりだというのに「今度いつ会えるのー?」と場違いな浮かれっぷりを見せる恋人だってのも、随分とアレな印象を。まぁ、舞台が東海岸から西海岸に移ったというのに違いがあんまり感じられないなど、その辺のざっくりとした感じは泥臭い娯楽映画を作らせたら右に出る者はいない、メナハム・ゴーランとヨーラン・グローバスのキャノン・フィルムらしい味わいで。その思いっきりハードルを下げたざっくり感のおかげで、老人がせっせと若者狩りに勤しむ“デス・ウィッシュ”シリーズが生まれたんだから、そこは功績として挙げといた方が良いのかなぁと。「ペッペケテトテト」と「ビュワワワーン」の組合せで成立している、ジミー・ペイジによるサントラも印象的でしたし。

dewt6.jpg

ポール・カージーに扮するのは、もちろん前作に引き続いてチャールズ・ブロンソン。もう初っ端から既に殺しの達人の域に達している今回のブロンソンなので、そのイメージの効果も相まって、威勢の良い若者を手際良く殺していく様に全くの違和感なし。今も昔も還暦周辺の人間が一番元気が良い。まぁ、ブロンソンの場合は70過ぎてもこの調子だったんですけど。
また、恋人役には、イーストウッド映画におけるソンドラ・ロックのように、この時期のブロンソン映画にはもれなく付いてきていた愛妻ジル・アイアランド。役柄的には、不幸のどん底に居るはずの恋人を気遣うどころか会えない事ばかりを気にする自分本位な上に、恋人が犯人だと知った途端に真偽を確かめようともせず逃げ去る、なんとも残念なキャラクターではあるんですが、出演場面の大半がイチャイチャしているだけという色々と実益を兼ねたキャスティングなんでしょうから、まぁしょうがない。
その他、前作から引き続き登場するヴィンセント・ガーディニアや、本作以降一線から退いちゃった娘役のロビン・シャーウッド、『エイリアン・ネイション』のケヴィン・メイジャー・ハワードらが若干印象に残るが、今となっては『プレデターズ』のローレンス・フィッシュバーンがチンピラ役で出演してるってのが、一番の注目ポイントなのかも。

dewt4.jpg
まずは殺す動機が欲しい

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogram投票ボタン   人気ブログランキングへ

        

        

posted by たお at 01:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 前にも観たアレ■ら行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月20日

RED/レッド (Red)

監督 ロベルト・シュヴェンケ 主演 ブルース・ウィリス
2010年 アメリカ映画 111分 アクション 採点★★★★

若い頃は、年配の上司や先輩に説教を食らうと「経験しか誇れるものねぇくせに」と陰で毒づく一方で、「自分も歳取ったらそう思われるんだろうなぁ」と案外醒めて考えていたもので。じゃぁ、実際に歳を取った今はどうかと思えば、下からは年寄り扱いされ、いまだ元気な上からは若輩者扱いされるというなんとも面倒臭い立場に。あぁ、こうなるとは考えてなかったなぁ

red3.jpg

【ストーリー】
電話でしか面識のないサラとの初デートを間近に控え、ワクワクする元CIAの凄腕工作員フランク。しかしそこへ、突如暗殺集団が来襲。その場は難なく切り抜けるフランクだが、これまでの通話記録からサラの身にも危険が迫っている事を案じた彼は、半ば強引にサラを救出。フランク同様隠居生活を送るかつての仲間たちと共に、命を狙われる原因を追及していくのだが…。

red2.jpg

DCコミックのグラフィックノベルを原作とした、還暦周辺の元気さには誰も敵わないってのを立証するアクションコメディ。監督が『フライトプラン』のロベルト・シュヴェンケってのに若干の不安を覚えたが、こんな面白い映画も撮れるんだぁと驚きを。
“年寄りvs若者”の対立構図ってよりは、圧倒的に元気な年寄り軍団に若者衆が翻弄されまくるって感じの本作。もう、観ているうちに若い衆が可哀想になってくるほど。派手さのみに頼らないバラエティ豊かなアクションシーンもさることながら、小気味の良いテンポと小洒落た会話が非常に楽しい痛快作に仕上がっている。
往年のスパイ映画の主人公らのその後を思わせる会話や設定も非常に面白く、非常に豪華なキャストながらもネームバリューを前面に押し出すのではなく、そのキャストの持ち味をしっかりと引き出せるキャラクター設定を施しているのも好印象。キャラクターとその住む世界が非常に魅力的に描かれていることもあり、是非ともこの顔ぶれでシリーズ化して欲しいなぁと思ってしまう一本で。ただまぁ、こんなに元気な年寄りの姿を見ちゃうと、この一つ下の世代はそれなりに頑張ってはいるからいいとして、かつてならエミリオやキーファーらのように束になってでも上に食らいつこうとしていた、そのもう一個下の世代の元気の無さが気になってしまいますねぇ。
スパイ映画の面白さも味わえる本作なんですが、昨今のスパイ映画同様に敵は内部に。まぁ、冷戦が終結してからは敵も見え辛くなったうえにスマートさに欠けるって問題もあるんで難しいんでしょうけど、たまには歯が全部銀歯とか、美人二重スパイとかが敵として出てくるようなスパイ映画をもう一度作って欲しい気もしますねぇ。観光地中心にロケをしたやつ。

red4.jpg

主人公のフランクに扮するのは、『コップ・アウト 刑事(デカ)した奴ら』のブルース・ウィリス。もう、いつものブルース。それだけピッタリの役柄。デジタルに疎そうな感じとかも。それにしても、多くのスターが苦戦する“老い”ってのを、ブルース・ウィリスはホント上手く取り入れてるなぁと痛感。ゲンコツがすっごく痛そうな感じとか
そんなブルース・ウィリスの元気な年寄り仲間に扮するのは、そのあまりに自然なフェイドアウトっぷりに、最後に「黒幕でーす!」って出てくるんじゃないのかと邪推してしまった、ブルースとは『ラッキーナンバー7』でも共演済みのモーガン・フリーマンを筆頭に、ブルースと意外なまでに息の合った笑いのコンビネーションを見せる『エラゴン 遺志を継ぐ者』のジョン・マルコヴィッチ、マーサ・スチュワートをイメージしたキャラクターで登場する『消されたヘッドライン』のヘレン・ミレンに、007におけるゴーゴル将軍的なキャラで登場する『ゾディアック』のブライアン・コックスと、見事な顔ぶれ。
その他にも、ツンと上がった鼻の女性が大好きな私にとって、もちろん好みのど真ん中だった『依頼人』のメアリー=ルイーズ・パーカーや、あまりの一方的な押されっぷりに、「良い経験をしたね」としか言いようがなかったDOOM ドゥーム』のカール・アーバン、ウォルター・ヒル作品の顔としても有名な『ウェドロック』のジェームズ・レマーに、そのやんちゃな瞳に全くの変わりがなかった『ポセイドン』のリチャード・ドレイファスと、これまた嬉しい顔ぶれ。
でも、一番嬉しかったのはやっぱり20世紀を代表する“イイ顔”役者である、『ニューヨーク1997』のアーネスト・ボーグナインの元気な姿を観れた事ですよねぇ。あの豪快なまでの笑顔と声が全く変わってなかったのには、ホント嬉しさのあまり感激すら。

red1.jpg
年々元気になられちゃうから、さっぱり追い付けない

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogram投票ボタン   人気ブログランキングへ

        

        

posted by たお at 02:48 | Comment(12) | TrackBack(72) | 前にも観たアレ■ら行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月19日

ランボー/怒りの脱出 (Rambo: First Blood Part II)

監督 ジョルジ・パン・コスマトス 主演 シルヴェスター・スタローン
1985年 アメリカ映画 96分 アクション 採点★★★

映画ってのは大衆娯楽なんだから、その当時の世相や政治思想なんかがダイレクトに反映されてしまうのは当たり前のことだと思うんですよねぇ。それを、何十年も経った今になって「これって、タリバンを支援してるんだよねぇ」とシタリ顔で非難するのは、なんか違うような気が。そもそも、そのシタリ顔が嫌。非難するなら、当時から非難しておけよと。

rafb5.jpg

【ストーリー】
恩赦と引き換えに、いまだ行方不明となっている兵士の調査の為、美人の現地ガイドと共にベトナムのジャングル奥地へと潜入したランボー。そこで捕虜を発見し救出するが、捕虜の存在が明らかになる事を望まない軍上層部によって、ランボーは敵地のど真ん中に置き去りとされてしまい…。

rafb3.jpg

ランボー』のその後から物語が始まるシリーズ第2弾。『カサンドラ・クロス』のジョルジ・パン・コスマトスがメガホンを握り、同時進行だったせいかネタが丸被りした『エイリアン2』のジェームズ・キャメロンの脚本をベースに、スタローンがちょこちょこと加筆。
元々ランボーが持っていたテーマや味わいと大きくかけ離れてしまっているにも関わらず、一般的に“ランボー”というとコッチのイメージが浮かんでしまう本作。母国に対し戦いを挑んだ孤独の戦士の物語だったはずが、いつの間にやらベトナムに借りを返す話にすり替わり、ついでに当時の敵国ソ連もやっつけちゃおうって展開には、前作が大好きだっただけに当時から「あれぇ?」と。そもそも、本作は別にランボーじゃなくても良い。ジョン・ランボーというキャラクターが見えない。そこに居るのは、他人の土地に勝手に上がり込み上半身裸で暴れまわる暴れん坊の姿のみ。まぁ、ソ連に強硬姿勢を示していたレーガン政権下の世相を良く現した“鬱憤晴らし映画”としては良く出来てるし、その流れを読むスタローンらしいアンテナの冴えっぷりも見受けられるので、採点はやや甘めで。この辺から筋肉映画が繁栄し始めたことですし。

rafb4.jpg

この作品の前後辺りから、役柄や作品そのものよりも盛った筋肉量が話題の中心になり始めていたスタローン。それはそれで仕事の姿勢としてはアッパレなものだし、好きな作品も少なくない時期なので良いんですけど、筋肉量ばかりに目が行っちゃうのはどうもちょっと。なんと言うか、好きな巨乳タレントの写真集を買ったら、胸のアップしか写ってないみたいな。まぁそれはさて置き、殺戮マシーンとして圧巻の筋肉美で説得力を持たせたスタローン。スタローンのイメージを決定づけた作品として、評価していいのかなと。
また、リチャード・クレンナは前作以上に父親っぽい雰囲気を醸し出すトラウトマンに引き続き扮し、『羊たちの沈黙』でレクターにギッタンギッタンにされていたチャールズ・ネイピアが、いかにも官僚的な憎々しさ溢れる上層部役に。『ビバリーヒルズ・コップ』のスティーヴン・バーコフの、ロシア人っぽい冷たく鋭い眼光も印象的。
ただ、本作で最も印象的だったのは、やはりランボー唯一のロマンス相手として登場するコー・バオ役のジュリア・ニクソン。女性慣れしてるとは到底思えないランボーを上手く手玉に取ったなぁって感じも否めなくもないが、和洋折衷な美しい顔立ちももちろんのこと、その細い首にもランボーの首にもフィットする不思議ネックレスもとっても印象的。

rafb2.jpg
苦しくても我慢

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogram投票ボタン   人気ブログランキングへ

        

        

posted by たお at 15:04 | Comment(2) | TrackBack(0) | 前にも観たアレ■ら行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月03日

ランボー (First Blood)

監督 テッド・コッチェフ 主演 シルヴェスター・スタローン
1982年 アメリカ映画 94分 アクション 採点★★★★★

映画好きを公言していますと、「どんな映画が好きー?」「オススメは何―?」ってよく聞かれますよねぇ。若い頃は、背伸びしたい年頃ってのもありますし、当時流行ってたミニシアターブームってのもありましたから、「ジャームッシュがどーのこーの」「ゴダールはね…」など随分と無理をしておりましたが、最近はもっぱら「筋肉!ゾンビ!美女!マチェーテ!!」と非常に自分に素直になった私。歳を重ねるって、別に成長するって意味ではないんですねぇ

fibl7.jpg

【ストーリー】
戦友を訪ね、山間の田舎町を訪れたベトナム帰還兵ジョン・ランボー。しかし戦友は、戦時中の薬品の影響で既に死亡していた。失意を胸に長閑な町ホープへ食事を求めて足を踏み入れたランボーだったが、町の秩序を重んじる保安官ティーズルによって逮捕されてしまう。拷問じみた取り調べによりベトナム時代のトラウマが蘇ったランボーは、保安官らを殴り倒し山中へと逃げ込む。ランボーを追って山中に入った保安官らだったが、ゲリラ戦の達人であるランボーの返り討ちに遭い…。

fibl1.jpg

映画にしろ音楽にしろ、10代前半に受けた影響がその後の嗜好を大きく左右するとよく言われますが、デヴィッド・ボウイとランボーとゾンビとデュラン・デュランがあれば概ね人生幸せな私なんか、モロそれに当てはまるなぁと。『燃えよドラゴン』や『ダーティハリー』『エクソシスト』なんかをリアルタイムで体験した上の世代も羨ましい限りですが、筋肉とスプラッターに塗れてた私の世代も、なかなかのものじゃございませんか。
で、本作。今のアメリカ大統領の名前を知らない世界の片隅に住む人でも、ランボーの名前だけは知っているってほどの作品に、今更アレコレ書くのもおこがましい気もしますが、思い入れだけはタップリある作品なので、その辺をダラダラと。
本作に対し筋肉映画の火付け役的紹介をされているのを見る度に、「それは『コマンドー』か『ランボー/怒りの脱出』だろうがよ」って思ってしまうのはさて置き、デヴィッド・マレルの原作“一人だけの軍隊”を『地獄の7人』のテッド・コッチェフが映像化した一本。必要ではあるが、下手をすれば間を悪くするだけでしかない人物や状況説明をバッサリとカットし、出来事だけを矢継ぎ早に映し出すスピード感が圧巻な本作。ランボーの行動だけを押さえれば、“立ち寄る→捕まる→逃げる→落ちる→反撃する→町壊す→泣く”の7項目だけで済むシンプルさ。もちろん、薄っぺらい内容をテンポで誤魔化すような作品なんかではない。“不当な扱いを受ける男の逆襲”“過酷な状況下でのサバイバル”“あのナイフ、すげぇ!”など、男子魂に火を点ける素敵要素がたんまりと盛り込まれているのが、まず素晴らしい。本作を観た男子は、山を見る度に「オレだったらこーやってあーやってサバイバルして…」と夢想したに違いない。絶対そう。私がそう。それも、未だに
そんな素敵要素だけではなく、「この辺とこの辺で見せ場作っとけば、とりあえず退屈しないんじゃないかなー?」なんて甘えが微塵も見えない、序盤から徐々にエスカレートし続ける展開に、テッド・コッチェフのゴツゴツとしつつもスピード感溢れる演出があったからこそ、30年近く経つ今観ても当時と変わらぬ興奮を味わえる作品に仕上がってるのではと。当初、監督候補として名前が挙がっていたマイク・ニコルズやブルース・ベレスフォードなどが監督していれば、『脱出』や『サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出』みたいな味わいを持つ記憶に残る作品に仕上がってたかもしれませんが、ランボーのない世界は嫌なので、やっぱりテッド・コッチェフで正解。

fibl6.jpg

“人物と状況説明をカットし、シンプルにまとめられている”とは書いたが、物語がないわけではない。それどころか、二人の主人公の物語を平行に描き、しっかりと絡め合わせてさえいる。“二人の主人公”とはもちろん、ランボーとティーズル保安官のこと。
ランボーからすれば、戦友の死を知ったばかりで落ち込んでる上に腹が減ってると言うのに、問答無用に町から追い出され非常に機嫌が悪い。ランボーが御立腹なのもよく分かる。だがティーズルからすれば、誰もが顔見知りの小さく平和な町に、アーミージャケットにもじゃもじゃ頭の見知らぬ男が辛気臭い顔でやって来れば警戒するのも当然で、穏便に済ませるためにも町を通過させようとしたのも分からなくはない。「飯くらい食わせてやればいいのに」って言うのもごもっともだが、一応原作ではしなびたタマネギが挟まった不味いハンバーガーを食わせてはいる。双方共にもうちょっと気を遣うべき余地こそあれど、行為が間違っていたとは断言できない。そんなちょっとしたボタンの掛け違いのような発端の些細さがあるからこそ、“追う者と追われる者”の物語へと発展し、それが逆転していく物語の面白さが強調されているようにも。二人のうちどちらか一方に物語が集中してしまえば単なる逃走アクションになっていたのであろうが、理不尽な扱いに怒るランボーと、若干の後ろめたさを抱えつつも町の秩序を守ろうとするティーズル双方の姿、“相手が先に手を出した”としっかり主張できる様をしっかりと平行に描いていたから、この面白さが生まれたのであろう。

fibl3.jpg

本作には、極悪非道な“殺されても構わない”悪人は一切登場しない。“一見”ランボーの戦っている相手に見えるティーズル保安官も、町の秩序を守る事に生き甲斐を感じているそこらの気の良いオッサンでしかない。映画では家庭での描写などゴッソリと削られてしまっているが、ブライアン・デネヒーの風貌で足りない部分は全て説明が出来る、気さくで頼りがいのある住民に愛される善良な人間だ。町の秩序を守るためには手段を問わぬ様に、『許されざる者』でジーン・ハックマンが扮したダゲット保安官を思い出すが、ダゲットの根っこにあるのは、彼が建築中の家の直せないゆがみ同様、ねじ曲がってサディスティックな暴力性である。一方のティーズルの根っこにあるのは、長年住み慣れた町と住人への愛着である。確かに短気でプライドが高いその性格のせいで事態が悪化してしまうのだが、本人もその辺には自覚があるようで、時折見せるばつの悪そうな様に人間らしい親しみを覚えてしまう。
また、ランボーの行為によって唯一命を落とすガルトも、暴力的ではあるが、言う事を聞かない若造を力でねじ伏せようとする、これまた、よくそこらに居るオッサンだ。役割やバランスとして、自分のような存在が必要であることを自分が一番理解しているタイプだ。過剰な暴力に出てしまう故に誰からも愛されるような人物ではないが、殺されても構わないような人間ではない。オロオロするだけの若い保安官らや、初めての実戦にお祭り騒ぎとなる町民らで構成された州兵らも気の良い連中で、決して倒されるべき悪役ではない。そんな、極端に偏狭なわけでも意地が悪いわけでもない一般的な住人によって追い詰められてしまう理不尽さが、後に筋肉殺戮マシーン大暴れとなるシリーズの中に於いても、本作が特別な作品として輝き続けている大きな要因なのではと。
こうして見てると、ランボーが戦っていたのは保安官でも州兵でもないような気がしてくる。「じゃぁ、何と戦ってたんだい?」となるが、答えは単純に“アメリカそのもの”。ここで登場するのが、サム・トラウトマン大佐。原作ではランボーを作り上げた創造主として登場し、制御不能となった機械を強制終了するが如くランボーの背後から後頭部をショットガンで撃ち抜くトラウトマン。映画ではより父親っぽくソフトに描かれているが、厳しい訓練で殺戮機械を作り上げた張本人であることには違いない。わざわざ町にやって来たのも、いざとなったらランボーを強制終了させるためだ。実際カットされた別エンディングでは、ランボーに引き金を引かされる形ではあったが、強制終了を実行している。トラウトマンが象徴しているのは、多くの若者を過酷な戦場に放り込み、そして見捨てた国家そのものである。その辺は、原作者自身がサム・トラウトマンをアンクル・サムをイメージしていることからも明白。ざっくりとまとめれば、ランボーとトラウトマンの関係は、フランケンシュタイン博士と怪物の関係と同じようなもの。国という父親相手に、ベソをかきながら反抗する息子の物語である。まぁ、国家の象徴であるトラウトマンの胸で泣き崩れる締め括りに、国家に反旗を翻す物語のはずが父子の和解に軸がぶれてテーマがぼやけてしまった感じもなきにしろあらずだが、着地点としては観客が一番安心できる地点なのではと。

fibl8.jpg

続編以降、筋肉殺戮マシーンという別次元の怪物に変貌してしまうが、本作のジョン・ランボーは特殊な訓練を受けたベトナム帰還兵って以外は、ごく普通の男である。オープニングでは、これ以降見る事のなくなった笑顔なんかも見せてるし、他人と普通にコミュニケーションが取れている。黙々と仏像を彫ってたり、蛇を捕まえてたりはしていない。もちろん、特異な部分もある。原作では、常に効率的かつ効果的な殺戮方法を考え、速やかに実行する姿が描かれているし、映画では実行こそしないが、相手の動きや武器の位置を常に確認する視線に、それは描かれている。でも、それは訓練の賜物であり、殺人嗜好に偏った人物であるというわけではない。自業自得の事故だったガルトの死体の前で、「俺は何もやってない!これは事故だ!もう終わりにしよう!」と必死に弁明する様は、非常に人間的な行動。保安官を全員殴り倒しておきながらも「何もやってない!」と言い切る様も、まぁ非常に人間らしい自己チューさ。
そもそもランボーは、国の為に命を掛けて戦った愛国者である。たとえその戦争が、動機も理由も切っ掛けもアヤフヤな大義なき戦争であっても、それは一兵士が責められるべき問題ではない。国を信じ、任務を遂行しただけでしかない。しかし、終戦を迎え故郷へ帰った彼らを待っていたのは祝賀パレードではなく、ありとあらゆる非難と冷遇である。ランボーが叫ぶ「戦場では100万ドルの兵器を扱ってきたのに、国に帰れば駐車場の受付の仕事すらない!」は、その状況を見事に言い表したセリフだ。帰還兵の怒りや失望を代表するランボーに、その帰還兵に対し非難を浴びせかけた大衆らで構成される保安官や州兵ら、そして戦争を作りだし多くの若者を死地に送りだしながらも見捨てた国家を象徴するトラウトマン。本作は、“ベトナム戦争後”のアメリカを見事に表現した作品である。

fibl4.jpg

本作の成功には、1980年代前半という時期的タイミングも要因として大きい。ベトナム戦争そのものと、帰還兵らに行った対応から直視を避けてきた70年代が過ぎ去り、“ベトナム戦争とは何だったのか?”と正面から向き合うことが可能となり、尚且つ帰還兵らに対する罪悪感が芽生え始めた時期だったからこその成功だ。ランボーが戦争の英雄であることを知った保安官らのばつの悪い様子に、観客らも持つ罪悪感が映し出されている。そして、虐げられし者であったランボーが一人母国に宣戦布告し暴れまわる姿に興奮し、声を挙げ応援する行為を経て、観客のそれぞれが長年心の中に持っていた罪悪感に落とし所を見出したようにも。
それにしても、時流を嗅ぎ取ることに関して、スタローンは類稀なる才能を発揮する。一般的なイメージとしては概ね“筋肉”に集約されがちなスタローンだが、自分の売り込み方を熟知する計算高さ、風潮やニーズをいち早く察知する嗅覚の鋭さには目を見張るものが。ほろ苦い結末ばかりだったニューシネマブームの末期に『ロッキー』を放ち(当初の結末はニューシネマの流れを汲むものだったが、なんだかんだで現在の物に書き直す)、当初は乗り気じゃなかったランボー役も、自身が脚本に携わる中で現在の形に仕上げ、先に挙げた「戦場では100万ドルの兵器を扱ってきたのに、国に帰れば駐車場の受付の仕事すらない!」のセリフで観客の心を鷲掴みにし、巷に大量の“自称ベトナム帰還兵”が出現する社会現象まで生み出したスタローンの映画作家としての手腕は、もっと評価されるべき。“筋肉”ってフィルターがかかった色眼鏡で作品を観られがちだし、確かにそういう作品もあるけれど、庶民の生活描写の細かさや、労働者の心を揺さぶるキャラクター描写の上手さに長けた映画作家であることを、是非とも再確認していただけたらと。

fibl5.jpg

企画の段階でランボー役の候補に挙がった、及び挙がったと噂される役者の面々を羅列してみると、ダスティン・ホフマン、アル・パチーノ、ニック・ノルティ、ジョン・トラヴォルタ、マイケル・ダグラス、クリス・クリストファーソン、ジェームズ・ガーナー、ジェフ・ブリッジス、ロバート・デ・ニーロなどなど、錚々たる顔ぶれがリストにズラリと。まぁ、どんな企画でも最初に名前が挙がりそうな面々ではありますし、企画の段階なんで多少好き勝手なことも言えますが、それにしても凄い顔ぶれ。だが、それらを蹴散らして最終的にキャスティングされたのが、『エクスペンダブルズ』『ロッキー・ザ・ファイナル』のシルヴェスター・スタローン。
当時のスタローンと言えば、『ロッキー』で一躍スターダムを駆け上がるも、ロッキー以外に当たり役がない一発屋の香りが漂い始めていた時期。それ故に焦りが警戒心を生み、ランボー役に乗り気じゃなかったらしいが、いざ演じてみれば、素朴で気の良いロッキー・バルボアとは正反対のキャラであるジョン・ランボー役がドハマリ。世界中の男子が熱狂するキャラクターが誕生することに。先に挙げたリストの誰もが、間違いなくスタローン以上の名演を見せたであろうが、人を熱狂させるのは名演だけではないことを立証。
一方、ティーズル役にキャスティングされた『ボーダー』のブライアン・デネヒーは、本作で見せたタフで正義感の強い頼れる男の印象の強烈さから、本作以降仕事が殺到。善玉・悪玉問わず強烈な存在感を放つ俳優に。特に、『殺しのベストセラー』や『ブルーヒート』など、警察絡みの役をやらせるとピカイチ。また、トラウトマン役として現場入りまでしたいたものの、「ランボーは死なんといかん!」と製作者側に要求し続け、丁寧に御退席頂いたカーク・ダグラスに代わって急遽現場に呼び出されたリチャード・クレンナも、とても付け焼刃とは思えぬ仕事振りで、強さと優しさを兼ね備えた父親的トラウトマンを好演。
その他にも、『セッション9』のデヴィッド・カルーソーや、『クローバーフィールド/HAKAISHA』のクリス・マルケイなど、誰もが印象的なのであるが、その役者の誰よりも強烈な存在感を放っているのが、『ポルターガイスト』のジェリー・ゴールドスミスによる音楽と、クリスマスを目前に控えた肌に突き刺さるような寒さを感じさせる山間の風景と、平和そのもののような小さな町ホープの町並み。この、生きてる内に一度は訪れたいカナダはブリティッシュ・コロンビアのホープの風景と、ジェリー・ゴールドスミスの音楽がなければ、本作は完成し得なかったのでは。特に、ダン・ヒルの甲高い歌声と対訳が若干物騒になってるテーマ曲“IT'S A LONG ROAD”は、“車行き交う山道を一人歩く時に歌う曲”第1位に選ぶべき名曲。そんな状況にいつ陥るか分かりませんが、陥ったら必ず歌う。初めてアコースティック・ギターを買った時なんか、“天国への階段”や“禁じられた遊び”なんてそっちのけで、この曲のアルペジオばっかし練習してたもので。いまだに弾いてますし。

fibl2.jpg
こっからしばらく帰れない

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogram投票ボタン   人気ブログランキングへ

        

        

        

posted by たお at 00:14 | Comment(4) | TrackBack(3) | 前にも観たアレ■ら行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月20日

ロビン・フッド (Robin Hood)

監督 リドリー・スコット 主演 ラッセル・クロウ
2010年 アメリカ/イギリス映画 156分 アクション 採点★★★★

なんとも当たり前の事なんですが、伝説の人物って、その伝説の部分が面白いから人気があるんですよねぇ。実在の人物の伝説であっても、本当か嘘かを差し置いて話の面白さが最重要。あと、ちょっとした説得力。水戸の副将軍だって、近所のお散歩話じゃなく、全国で印籠出しまくってた物語だったから人気があるんでしょうし。

roho4.jpg

【ストーリー】
イングランドの獅子心王リチャード1世の下で十字軍の遠征に参加していたロビンは、王の死を受け部隊を仲間と共に離れる。道中、王冠を国へ持ち帰る途中であった騎士ロバート・ロクスリーが闇討ちに遭う現場に出くわしたロビンは、父親の剣を故郷に持ち帰るよう頼まれる。騎士に成りすまし帰還したロビンは、ロバートとの約束を果たすためノッティンガムへと向かう。ロバートの父ウォルターの願いもあり、未亡人マリアンと共にその地に留まる事となったロビンや、やがてリチャード1世の跡を継いだジョンの圧政に苦しむ民衆が起こした反乱と、フランス軍の侵略という大問題の渦中に放り込まれ…。

roho3.jpg

ロビン・フッドの伝説に史実を混ぜ込んで描く、“ロビン・フッド・ザ・ビギニング”的一大スペクタクルアクション。監督は、『アメリカン・ギャングスター』『レジェンド/光と闇の伝説』のリドリー・スコット。
リドリー・スコットの写実志向のディレクションが正しかったのかどうかはさて置き、史実と活劇の面白さがほど良くブレンドされた本作。伝説が生まれる状況を緻密に描くことで、英雄誕生に説得力を持たせる作りが上手い。ぱっと見こそリアル志向の新機軸で描かれた作品のようにも見えるが、ひょんな事から大事件に巻き込まれた主人公が、出自の秘密にも関わる抜群のカリスマ性を発揮し、巨悪と戦う民衆の英雄になっていく基本構造は完璧に活劇で、その活劇の面白さをしっかりと残した作品に仕上がっている。そう言った意味では、リドリー・スコットの“深そうでいて案外そうでもない”一面が、良い方向に働いたのかと。相変わらず『プライベート・ライアン』の呪縛から解き放たれていない決戦シーンなど気になる点はあるが、一枚の絵画のような見事な構図と色合いで映し出されるショットはどれも美しく、舞台と人物が複雑に絡みながらも、お馴染のキャラクターや地名をベースに分かり易くストレートにまとめ上げられた、『グリーン・ゾーン』『ペイバック』のブライアン・ヘルゲランドの脚本の効果もそれに相まって、大人向けの絵本を読んでいるかのような楽しさも。
因みに、今回は劇場版より結構長いディレクターズカット版で観賞したんですが、どこがどう長くなったのかは劇場版を観てないのでさっぱり。ただまぁ、確かに社会状況や生活の様子などを描く中盤は随分とマッタリしていた印象もありましたが、そのユーモラスでのんびりした描写は決して退屈ではなく、終盤の怒涛の展開に対してのメリハリとして効果があったのかなぁと。逆にそれがなかったら、随分と駆け足の印象を受けてしまったのかも。

roho2.jpg

ロビン・フッドに扮するのは、『3時10分、決断のとき』『インサイダー』のラッセル・クロウ。史劇のヒーローが似合う事はとっくに立証済みなので、今回も見事に舞台映えするカッコ良さを存分に堪能。お馴染の緑の衣装が似合ってたかどうかとか、ロビン・フッドに見えたかどうかは別にしても、昔のヒゲのカッコイイ人って感じは充分に。
また、かつてはオードリー・ヘプバーンも演じたマリアン役には、『ライフ・アクアティック』のケイト・ブランシェットが。これまた、史劇が似合うキャスティング。劇中に出てくる王族の誰よりも王族っぽい。場面によっては、ラッセル・クロウを軽く凌駕する存在感を発揮。
その他にも、“無能・暴虐・陰謀好き・裏切り者・恥知らず”と何一つ褒め言葉が残されてない上に、あんまりにもあんまりなので二度と“ジョン”を名乗る国王がいなくなってしまうきっかけを作るジョン王に扮した、『エンジェル ウォーズ』のオスカー・アイザックや、『インクレディブル・ハルク』のウィリアム・ハート、ここのところ活躍の目覚ましい『キック・アス』のマーク・ストロング、『30デイズ・ナイト』のダニー・ヒューストン、『レギオン』のケヴィン・デュランドに、『シャッター アイランド』のマックス・フォン・シドーといった錚々たる顔ぶれがキャスティング。まぁ、主演の二人が強烈なだけに霞みがちだったサポート勢ではありましたが、『イングロリアス・バスターズ』のレア・セドュー扮する王妃イザベラは、キャラとしてちょっと印象的。既に嫁のいる次期国王を、その奥さんと国王の母親の前で寝取る根性は凄いなぁと。命を賭して嘘をつく様にも、大した女だなぁと感嘆。

roho1.jpg
きっと、この恰好をするのが夢だったんでしょうし

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogram投票ボタン   人気ブログランキングへ

        

        

posted by たお at 12:09 | Comment(6) | TrackBack(55) | 前にも観たアレ■ら行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月18日

[リミット] (Buried)

監督 ロドリゴ・コルテス 主演 ライアン・レイノルズ
2010年 スペイン/アメリカ/フランス映画 94分 サスペンス 採点★★★

若手監督の意欲と野心が前面に押し出された作品って、若い頃はその意欲を見るべきなのか、作品の面白さを素直に見るべきなのかよく分からず、結局「なんか、カッコ良かったよ」とお茶を濁す事の多かった私。よく分からないのは今も変わらないんですが、最近では「まぁ、頑張れ」と心にもない応援をするように。

buri1.jpg

【ストーリー】
イラクで働くアメリカ人のトラック運転手ポールが目覚めると、そこは地中に埋められた棺桶の中であった。埋められた理由も分からずパニックに陥る彼は、手元にあったライターと彼の物ではない携帯電話を手に、なんとか助けを求めようとするのだが…。

buri3.jpg

役者は『アドベンチャーランドへようこそ』のライアン・レイノルズただ一人、舞台は棺桶の中のみと、とことん限定された中で作り上げられたサスペンス・スリラー。監督は、本作が長編2作目となる新鋭ロドリゴ・コルテス。
最低限の手掛かりと空間の中で“なぜ?如何に?”を描くのではなく、人物を突き放し“どうなる?”という観察眼的視点で描かれる本作。携帯電話やナイフなどのツールも、脱出の為に駆使するのではなく使用法が定められている様にも、実験的な味わいを感じる。そう言った意味では、事務的な対応に終始し主人公を追い詰めていく外部の存在や、希望を僅かに繋ぎ止め続ける救出隊の存在は功を奏しているのではと。
俳優一人に棺桶一つという作品を撮る技術的な難しさはもとより、そのミニマムな作品で観客の関心を90分引き続けようとする難題をクリアした手腕は見事。ただ、作り手の目的がその難題のクリアと、ベタの回避にあるような感じも。キャラクターと観客を手の平に置いて、コントロールしたり観察したりって興味本位という感じとか。まぁ好みはさて置き、頑張ったねぇと。

buri4.jpg
案外広い

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogram投票ボタン   人気ブログランキングへ

        

posted by たお at 00:50 | Comment(10) | TrackBack(22) | 前にも観たアレ■ら行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月17日

ロストボーイ (The Lost Boys)

監督 ジョエル・シューマカー 主演 ジェイソン・パトリック
1987年 アメリカ映画 97分 ホラー 採点★★★★

中学や高校時代に、夜中こっそり家を抜け出し遊び呆けたあのドキドキや楽しさって、今となってはもう味わえなくなってしまいましたねぇ。その時間は、今じゃ普通に起きてたりもしますし。夜が今感じる以上に静まり返っているようで、話す声も自然とヒソヒソ声となるのも堪らなかったもので。当時そんなになかったコンビニへ遥々歩いて行くその行為自体もすげぇ楽しかったんですが、今その時間に一人でコンビニに行っても、なんとも寂しいだけなんですよねぇ。なんかつまんないなぁ

lobo2.jpg

【ストーリー】
行方不明事件が続発する西海岸のサンタ・カーラに越してきた、母ルーシーにマイケルとサムの兄弟。兄のマイケルは町で出会った美少女スターに一目惚れ。彼女が行動を共にしていたデヴィッド率いる不良グループに誘われるがまま彼らのアジトへと向かい、酒を飲み交わす。しかし彼らの正体は吸血鬼で、マイケルも望まぬまま吸血鬼の仲間入りをしてしまい…。

lobo3.jpg

3人のゴースト』のリチャード・ドナー製作総指揮のもと、『ザ・クライアント/依頼人』のジョエル・シューマカーがメガホンを握った青春ヴァンパイアアクション。
“惚れた女について行ったら吸血鬼にされちゃったけど、彼女の事をなんとか救いたい”という兄マイケルを軸とした青春吸血鬼物語と、“お兄ちゃんが吸血鬼になっちゃった!どうしよー?ママには言うなって言われてるし、そのママは知らんオッサンと仲良くなってるし!”とテンパる弟サムを軸としたわんぱくヴァンパイアハンター物語に、“久しぶりに素敵な男性に出会えたっていうのに、上の子はグレ始めるし、下の子はワケ分かんないことばっかり言い出すしホント困ったわ!”というママの子育て苦労話を巧みにブレンドし、そこに続発する失踪事件の問題をホンノリと絡めた、80年代に多く作られたアレンジ型吸血鬼映画群の中でも忘れ難い一本。若干盛り込み過ぎに感じる題材の数々も、好調時のジョエル・シューマカーらしい手際の良い演出と展開でまとめ上げられており、土台の緩んだ浮ついた感じは作品から感じられない。当時はリチャード・ドナー色が前面に出ていたように感じていたが、女の子そっちのけで上半身裸の男子をカメラで追い続ける様に、シューマカーらしさを強烈に感じたりも。また、吸血鬼映画には欠かせないエッセンスである、“魅力”と“誘惑”をしっかりと描き込めているのも良い。吸血鬼グループに観客が“魅力”と「仲間入りしても良いかも」と思わせる“誘惑”を感じられなければ、如何に物語が進もうと観客はついて来ない。そこの成功は大きいし、それを生み出した男の子の魅力に関しては鋭いシューマカーの嗅覚も見事。
80年代の映画らしくバラエティに富んだ楽曲が集まったサントラも魅力的なのだが、やはりエコー&ザ・バニーメンによるドアーズの“まぼろしの世界”のカヴァーが見事。彼ららしい耽美的な音とイアン・マッカロクの声は、ドアーズのサウンドに見事にマッチするだけではなく、作品のムードを決定づけるだけの力強さを。この後に発表された、ドアーズのレイ・マンザレクが参加する“ベッドバグズ&バリィフー”は、いまだに好きな曲のひとつで。

lobo4.jpg

主役のマイケルに扮するのは、本作以降だと水に濡れちゃいけないタイプの頭部なのに、存分に濡れちゃってとっても残念な感じになってた『スピード2』が印象に残っているジェイソン・パトリック。もちろん本作ではそんな残念な感じはなく、チリチリの髪の毛と憂いを帯びた眼差しが、劇中にポスターとして登場するジム・モリソンとダブる男前っぷりを披露。そう言えば、異母兄弟にあたるジョシュア・ミラーは、本作と同じ年に製作された『ニア・ダーク/月夜の出来事』で吸血鬼役を演じてましたねぇ。
一方、弟のサムに扮するのは本作でも共演したコリー・フェルドマンと共に“Wコリー”として人気を博すも、ほどなく子役にありがちな転落人生を送り、復活の兆しが僅かに見え始めた昨年早過ぎる死を迎えてしまったコリー・ハイム。今観ると自分も似たような格好をしていただけにかなり恥ずかしい80年代感丸出しのファッションと、親しみと愛嬌溢れるオーバーアクションで本作の明るい部分を一人で支えている感じが。
その他にも、ベテラン子役の域に達したかのような渋味すら発する、先に挙げた『グレムリン』のコリー・フェルドマンや、手がハサミで出来てる人を連れてきたり吸血鬼と付き合ったりとドエライことをしでかすが、それらを全て持ち前の愛嬌で乗り切るダイアン・ウィースト、若干顔のパーツが中央に寄り過ぎている感のある『ツイスター』のジェイミー・ガーツに、ロストボーイ一辺倒な感じにもなってきたジェイミソン・ニューランダーと、“ビルとテッド”のビルの方などが揃った本作。
それらのキャスティングの中でも一番の目玉は、やはり吸血鬼グループのリーダーに扮した『ア・フュー・グッドメン』のキーファー・サザーランドに尽きるであろう。悪しか出し得ない魅力と誘惑を存分に振りまき、独特の美しさと色気すら感じさせる本作のキーファー。作り手の目線がそう思わせてしまったのかも知れないが、主人公のマイケルに片恋慕の想いすら持っているように見える本作のキーファーを“ベスト・オブ・キーファー”に選んでいるファンも少なくないのでは。私は選んでます。

lobo1.jpg
そういえば、初めて買ったDVDはコレだったかも

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogram投票ボタン   人気ブログランキングへ

        

        

posted by たお at 03:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 前にも観たアレ■ら行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

ラスト3デイズ 〜すべて彼女のために〜 (Pour elle)

監督 フレッド・カヴァイエ 主演 ヴァンサン・ランドン
2008年 フランス/スペイン映画 96分 サスペンス 採点★★★★

なにか大それたことをしでかす時って、緻密な計画を練ってから行動を起こすってよりも、ちょっとしたきっかけと勢いで実行してしまうもんなんですよねぇ。計画も大事ですけど、あんまり計画を緻密に練ってると、計画すること自体が目的みたいになっちゃって、なかなか実行には移せないもので。まぁ、勢いに任せると、後々後悔することも多いんですけど。

poel4.jpg

【ストーリー】
美しい妻と幼い息子の三人で平穏な暮らしを送っていた国語教師のジュリアン。しかしある朝、妻が殺人容疑で逮捕され、無実の訴えも虚しく禁固20年の実刑を受けてしまう。妻の無実を固く信じ様々な手を尽くすジュリアンだが、全ての証拠が彼女を不利にさせ、身の潔白を証明できないまま時間ばかりが過ぎてゆく。心身ともに限界に近づく妻の姿に、ジュリアンは妻を脱獄させる決断を下すのだが…。

poel2.jpg

ポール・ハギス監督、ラッセル・クロウ主演でリメイクもされた、とても長編デビュー作とは思えぬ見事な手腕を発揮したフレッド・カヴァイエ監督・脚本によるサスペンス。
妻の無実を信じる男が、全てを捨て犯罪者に身を落としてまでも妻を奪還する姿を描く本作。妻への愛を貫き奪還のために綿密な計画を練る主人公の姿、憔悴し衰弱していく妻の姿、あまりに長く母親と離ればなれな為に母親に甘えられない幼い息子の姿、そして事件後に息子である主人公を支えている家族の姿を、丹念に丁寧に描き出す本作。発端である殺人事件の詳細や真実には、ほとんど触れられない。そこが最大のポイントである。無実を主張しているのは妻のみ。全ての証拠は妻を犯人であると立証している。妻の主張も映像として映し出されるが、根拠は何も提示されない。冤罪と戦う夫婦の物語であれば、その線がボンヤリしてたら話にならないのだが、本作はそんな物語ではない。妻を愛し、妻の言葉を一片の疑いもなく信じる男の物語である。妻が「やっていない」と言っている、それが全て
そんな強い愛に突き動かされる主人公らの姿を、小手先の演出や過剰なセリフに頼らず、人の心の動きや表情をとても新人とは思えぬ腰の据わった演出で見せる本作。心情が透かし見える丁寧な演出で描かれている為、登場人物らの想いがダイレクトに伝わり心を揺さぶられる瞬間も多い。特に、主人公の父親が息子がこれからしようとしている事、それが永遠の別れになる事を悟りながらも言葉には出さず、ただ力強く孫と息子を抱きしめる姿に、強烈に胸を締め付けられる思いを。これだけ心情を丁寧に描きながらもシーンには無駄がなく、物語が流れるように進む好テンポを維持しているのにも驚いた。また、堕ちる所まで堕ちてしまいそうな展開を、ほんのちょっとの魔法のような出来事で救いあげる作り手の優しさも非常に好印象。稀にこのような傑作に出会えるのだから、映画漁りは止められない。

poel3.jpg

主人公のジュリアンに扮するのは、『君を想って海をゆく』のヴァンサン・ランドン。教師らしい冷静さで綿密に計画を練るも、残り時間が僅かしかないと知るや否や、転げ落ちるように事態を悪化させてしまう“平凡な男”を好演。普段は深い愛情と優しさを感じさせながらも、テンパってしまうとそんな姿が崩れ去ってしまうリアルさを、見事なまでに表現。「あれだけ若くて美人の奥さんだったら、そりゃぁ頑張るよなぁ」と妙な説得力も含め、絵空事のヒーローなんかではないリアルさを。
また、その妻役には『ナショナル・トレジャー』のダイアン・クルーガー。なんとなくナタリー・ポートマンに陰を加えて熟成させた感じのする彼女だが、その陰のある色気が“無実”の部分にほど良い揺らぎを与え、本作のテーマをより強烈に浮き彫りにさせた結果に。逆に清楚さが前面に出てしまうと、無実が当たり前になってしまうので印象が変わってしまったんだろうなぁと。リメイク版では屈託のない明るさが売りである、『恋するポルノ・グラフィティ』のエリザベス・バンクスがキャスティングされているようだが、ちょっとその辺は不安要素の一つ。まぁ、観るんでしょうけど。好きですし、エリザベス・バンクス。
その他、地元の言葉でアレですがホントにめんこい息子に扮した本作がデビューとなるランスロ・ロッシュや、「本物の犯罪者を連れて来たのか!?」と思うほどの凄味を見せた『あるいは裏切りという名の犬』のオリヴィエ・マルシャルなども、非常に印象的な好演を。まぁ、オリヴィエ・マルシャルは元警官なんで、あんな紙一重の凄味を出せたんでしょうけど。
フランス映画を観るといつも思うんですが、本作でも刑務所の建物や囚人服と、「そこは機能性重視でいいんじゃないの?」と思えるものまで全てホンノリとオシャレ。なんでしょう?やっぱりアチラの方々の遺伝子には、オシャレってのが既に組み込まれているんでしょうか?

poel1.jpg
経験上言い切ると、父親が幼い子と二人きりで出かけると周囲が妙に優しく接してくれる

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogram投票ボタン   人気ブログランキングへ

        

        

posted by たお at 02:55 | Comment(0) | TrackBack(17) | 前にも観たアレ■ら行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。