監督 M・ナイト・シャマラン 主演 ポール・ジアマッティ
2006年 アメリカ映画 110分 ファンタジー 採点★★★★
厄介なことに、人のイメージや評価ってものは第一印象で決まってしまうもので。そのコンマ何秒の世界で決まってしまった第一印象を覆すのは非常に困難で、それこそ
雨ざらしの捨て犬に傘を差すくらいの勇姿でも見せない限り、なかなか覆すことが出来ないようです。ほとほと困り果てますねぇ。ただ、第一印象が悪ければ悪いほど覆すのに多大な努力を要するが、一旦覆ってしまえばそのギャップの大きさからか、ちょっとした善人でも聖人に見えてしまうほどの好印象を与え、その好印象が思いのほか長続きするもので。まぁ逆に、良い第一印象という好スタートを切ってしまうと、
鼻毛一本のレベルで瞬く間に滑落したりもするんですが。鼻毛の手入れも大事です。

【ストーリー】
アパートの管理人としてしがない生活を送るクリーヴランドの下に、ストーリーと名乗る謎の女性が現われる。実は彼女は水の妖精で、このアパートに住む将来世界に大きな変化を与えることとなる人物にインスピレーションを与える為にやって来たのだという。ところが、その人物にもめぐり合え水の世界に帰る算段もついた時、彼女の前に恐ろしい怪物が現われ帰路を断たれてしまう。彼女をなんとか水の世界へ帰す為、アパートの住人達が一致団結し怪物と対峙する。

“端っから主人公は死んでましたよ”という『
シックス・センス』の仰天結末によって、エンディングでビックリさせる“ギミックの帝王”の冠を授けられてしまったシャマラン。それ以降、作る作品作る作品“エンディングのビックリ度”のみによって作品の完成度が測られ、「
ビックリしなかったから、ツマンネ」と作品のテーマを度外視する評価を下す輩が続出。また、ハリウッドでは珍しい自らのオリジナル脚本で映画を撮る部分に注目されるにつれ、過去の類似作品や元ネタと類推される作品を、映画を観る以上の努力と根気で探し出し、「パクりだ!パクりだ!シャマランは泥棒だ!」と騒ぎ出す者まで続出する始末。有史以降、人々が“面白い”と感じる物語には決まったパターンがあり、どんな物語も必ず過去の物語の影響を受けているのに。これらによってシャマランの作品は、その人気度・評判と比例する形で、
背伸びした映画愛好家の恰好な餌食となることに。
シャマラン作品がビックリエンディング以外に観るものがないかと言えば、もちろんそうではない。“ビックリ王”の冠を授けられてしまった『
シックス・センス』や『
ヴィレッジ』では魂レベルでの愛を説き、シャマラン屈指の傑作『アンブレイカブル』では、「こんな人生を送る為に生まれてきたんだろうか?」と言う、中年期に訪れるミドルエイジ・クライシスと、光に相対する影として生きることを宿命付けられた“悪”の苦悩を見事に描いてみせた。また、“偶然は全て必然”という大袈裟なテーマと
虚弱体質な宇宙人によってトンデモ映画の悪名高い『
サイン』も、『ID4』的世界の最前線においてワンパク大統領が戦闘機に乗って暴れまわっていた頃、片田舎の一軒家というミニマムな世界で起きていた珍騒動をシャマラン流ユーモアとマニアックな小ネタで描ききった点で評価も高い。そして、これらの全ての作品に共通しているのは、幼稚なまでに純粋な
“優しさ”である。

シャマラン作品としては珍しくエンディングに
これ見よがしなギミックのない本作は、元々は娘に聞かせる御伽噺として作られた物語である。既にあちらこちらで書かれている通り、この作品の脚本には大穴がボコボコと開いているし、辻褄合わせに終始したかのような展開は慌しい。人間となんら姿形が変わらず、何の奇跡も起こしていない自称“妖精”という異物が現われたのにも関わらず、登場人物は全て疑うこともなく受け入れてしまうし、中には姿も見ていない
又聞きの状態であっても信じてしまう。普通の映画では“信じる・信じない”の過程だけで大半の時間を費やしてしまうのにだ。また、登場人物が揃いも揃って善人であり、住人が昔聞いたことのある御伽噺と全ての事象が合致してしまうことに不自然さを感じることも多いであろう。事実、この脚本を読んだディズニーの重役が、そのあまりにあんまりな出来に書き直しを提案し、それを聞いたシャマランが
「ボクを信じてくれないなんて、ひどいー!」と泣きながら飛び出したといういわくつきの作品である。そんな作品であるのにもかかわらず、鑑賞中に感じるこの
心地の良さは一体なんなのであろう?それは、この作品が現実の世界に“御伽噺”という異物が迷い込んだ物語ではなく、現実と御伽噺が共存する世界を描いた作品だからではないのであろうか。幼稚なまでに純粋な優しさに溢れた世界の。

その“幼稚さ”と“純粋さ”に、いわゆるハリウッド流のビジネス臭は感じられない。それは、シャマラン自身の出自が大きく影響を与えていると思われる。裕福な医者の息子として何不自由なく育った、
ボンボンならではの純粋さだ。ガツガツとしたハングリー精神溢れる作家ならヒネて捉えてしまう“願えば叶う”という絵空事にも似た考えを、“願えば叶う”環境で育ったシャマランだからこそ、純粋に事実として描くことが出来るのだ。そしてそのファンタジーを事実として見せられる事により、観客は至福の時間を得ることとなるのだ。
シャマラン作品の楽しみの一つとして挙げられるのは、シャマラン自身の登場である。『
シックス・センス』の医者役、『アンブレイカブル』の怪しいインド人といった脇役だったのが、『
サイン』では主人公の妻を轢き殺してしまう重要な役にのし上がり、登場時間も徐々に長くなって
人々を不安にさせたものだ。ケヴィン・スミスの『
ジェイ&サイレント・ボブ 帝国への逆襲』のように、「コイツ、いつか自分主演の映画を作るんじゃないか?」と。さすがにでしゃばり過ぎたと反省したのか、続く『
ヴィレッジ』ではラストワンシーンでの短い登場であったが、ガラスの反射越しに映るという、まるで『ロビン・フッド』のショーン・コネリーの様な大物扱いぶりが、
この作品最大のビックリに。それでも、これらの役柄は存在しなくても作品が成立する程度のものであったが、今回は凄い。登場時間の長さもそうだが、シャマラン演じるキャラクター抜きでは作品自体が成立しない重要な役柄を演じちゃってる。それも、
劇中で一番二枚目なの。素人同然の演技にもかかわらず、物憂げな表情で二枚目に扮するシャマランの存在が、本作最大のファンタジックな部分なんですが。このシャマランのナルシストぶりを乗り越えられるかどうかが、この作品を楽しむ上での最大の試金石になるのは確か。私ですか?シャマラニストなんで、もう慣れちゃいました。

シャマランを二枚目の頂点とする本作は、主演のポール・ジアマッティを始め登場人物全員が揃いも揃って美男美女ばかりのいわゆるハリウッド式ヒーロー・ヒロイン像とは程遠い方々ばかり。しかも、バカ揃い。そんな
低所得・低学歴・低美貌だが人の良さだけには満ち満ちた人々が、人魚映画監督の娘で綺麗なのだが
なんとなくエラ呼吸してそうなブライス・ダラス・ハワード扮する水の妖精を一致団結し助け、結果世界を救う物語は、美男美女が醜い者を倒すよくある映画よりも遥かに好印象。美男美女が救った世界より、
バカが救った世界の方がずっと住み心地が良さそうですし。
これまでのシャマラン作品同様、根っからの悪人が出てこない本作。ただ一人、映画評論家を除いては。これまで評論家に散々叩かれたのを相当根に持っていたようで、とことんいたぶっておりましたねぇ。コワイコワイ。
脚本のアラ、シャマランのナルシストぶりと散々叩かれるであろうこの作品であるが、根底に流れる揺ぎ無い優しさと、絶対に曲げることのないシャマランの頑固ぶり、そしてプールの水面越しに映す
ラストカットの素晴らしい美しさを評価して、私は断然この作品を支持しますよ。デヴィッド・ボウイの“魂の愛”も流れてますし。

一番救いを必要としている人々によって救われる世界って、なんか住み心地良さそう
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