監督 ポール・グリーングラス 出演 ハリド・アブダラ
2006年 アメリカ映画 91分 ドラマ 採点★★★★★
1940年代、アメリカのジレンマはピークに達していたと思われる。国際社会において地位と発言力を高める方法の一つとして“戦勝国”になることが挙げられるが、ヨーロッパの戦争であった第一次世界大戦に参戦できず、
二流の田舎国と目されていたからだ。そして、ヨーロッパとアジア大陸が主戦場となった第二次世界大戦も、自国が関係するわけでもなく指をくわえて眺めざるを得ない状況の中、“西欧列強からのアジアの解放”を名目にアジアへの進出を進めていた日本軍が、フランス領インドシナへ到達。それに対しアメリカは激しく抗議し、石油の全面的輸出禁止措置をとる。これに対し外交的解決を求めた日本であったが、アメリカは拒否。後に「バチカンやルクセンブルグのような小国であっても、大国アメリカに宣戦布告せざるを得ない」とまで言わしめた、
戦わずして無条件全面降伏を求めるのと同様の内容である“ハルノート”を突きつけてくる。日本は真珠湾へ船を進めることとなる。真珠湾攻撃の作戦開始時刻ぎりぎりまで外交的解決を求め続けた日本であったが、その望みは叶えられる事はなかった。“あらかじめ奇襲攻撃があることを知っていた”とさえ言われるほど
都合よく老朽船ばかり停泊していた真珠湾に攻撃を受けたアメリカは、胸を張って第二次世界大戦へと参戦することとなる。

第二次世界大戦後の世界情勢は、“民主主義VS共産主義”という対立構図を描くこととなる。日本軍による進軍後、次々と欧米植民地支配からアジア各国が独立を果たす中、もともとはフランス領であったインドシナ北部にホー・チ・ミンが共産主義国家“ベトナム民主共和国(北ベトナム)”を立ち上げ、それを認めないフランスは南部にコーチシナ共和国(南ベトナム)を成立させる。双方が争う第一次インドシナ戦争終結後も、アメリカはアジアにおける共産主義の拡大を防ぐため南ベトナムを全面的に支援。軍事介入はしたものの、直接的に戦争を開始する理由が見当たらず、ベトナムからの撤退を考えていたケネディ大統領が、1963年暗殺。翌1964年、ベトナムのトンキン湾に停泊していたアメリカの駆逐艦が北ベトナム軍の魚雷攻撃を受ける。この事件が北ベトナムからの宣戦布告と認められ、ベトナム戦争が開始される。しかし後に、当時の国防長官ロバート・マクナマラの告白によって、
この事件自体がアメリカによる自作自演であることが判明する。

明確な敵国が存在する、もしくは戦争状態にある場合は、国民の目を国内の問題ではなく国外へと向けさせることが容易である。また、“戦時下”にある緊張感の下では、多少の無茶も通りやすい。つまり
トップが支配しやすい環境にあるわけだ。しかしそんな中、1991年のソビエト連邦の崩壊によって、“民主主義VS共産主義”の対立構図も崩壊。新たな敵を模索するアメリカは、アフリカ・中近東へと介入をするが、明確な敵が存在しないまま21世紀を迎える。そして2001年9月11日早朝、通信不能に陥りハイジャックされたと目されたアメリカン航空11便が管制塔のレーダーから消えうせる。場所はニューヨーク。同時刻、ニューヨーク貿易センタービル北棟に航空機が激突。その頃、ユナイテッド航空175便も通信不能状態となる。管制塔が混乱に陥る中、今度は貿易センタービル南棟に航空機が激突する。「
アメリカが攻撃をされている」そんな衝撃が走る中、同じく通信不能となっていたアメリカン航空77便が、アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突。そして、もう一機ユナイテッド航空93便が航路を大きく変えワシントン方面へと向かっていた…。

前置きが大分長くなってしまったが、『ユナイテッド93』に対するレビューを書く前に、この痛ましすぎる事件の背景とそこに到るまでの経緯に
怒りと不信を大きく感じたので、筆を暴走させていただいた。
『ブラディ・サンデー』『ボーン・スプレマシー』のポール・グリーングラスによるこの作品は、綿密な調査を基に“その時何が起こっていたのか?”を再現する。乗客に無名の俳優を配し、管制塔スタッフに実際
その場にいた本人を使うことによって、凄まじいリアリティを生み出している。しかし、リアリティに頼るだけではなく、登場人物の意味はないが日常的な会話を随所に入れることで登場人物に“知っている誰か”という顔を持たせ、誰も想像だにしていなかった悲劇に向け刻一刻と進んでいくサスペンス、そして誰もそれを止められない無力感は、不謹慎な言い方をさせてもらえば傑作パニック映画としても完成させられている。
刻一刻と事態が悪化するも、状況が把握できず混乱に陥りながらも事態の収拾に奔走する地上スタッフの描写は秀逸。徹底的に再現を試みたドキュメンタリータッチでありながらも説明的かつドライにならず、映画的醍醐味も存分に感じることが出来る。ドラマチックな演出も控えているため、最悪の事態を防ぐことの出来なかった喪失感や悲しみ、恐怖がなんのフィルターも通さず直接観客に伝わり、胸がもの凄く苦しくなる。
通信記録以外機内の状況を伝える証拠がないため、機内でのドラマのほとんどが想像によるものである。その為、この作られた部分も“事実”であるとして世に送り出されることには
多少ならずとも違和感を感じるのだが、この“作られたドラマ”にこそ、観客に訴えたいメッセージが込められている。

画質も荒く、ブレ続ける手持ちカメラによる映像は、あたかも自分までもが機内にいるような錯覚を感じさせる。そして乗客が感じたであろう恐怖と悲しみと絶望感の追体験を、我々観客に強いる。乗客の頭越しに見える景色がどんどん地上に近づいていく恐怖と絶望を。唯一違うのは、劇場内が明るくなった時、
私たちは生きているということだけだ。絶望と恐怖の中でも家族に対する愛を忘れず、これ以上命を失わせまいと乗っ取り犯に立ち向かう勇気を描くクライマックスだが、この作品が訴えかけるメッセージはこれだけではない。
この事件以降、“テロリスト=悪”という単純構造で世界情勢が語られるようになってしまった。しかし、“テロ=悪”という単純な理由付けでは、この作品も含め、この事件に到るまでの経緯、そして今後も続くであろう恐怖に対して
理解は出来ないであろう。この作品における乗っ取り犯の描写は、非常に人間的だ。愛する者に愛の言葉を遺し、乗客同様恐怖し絶望する姿は、我々となんら変わりない。そんな我々と変わらない“普通の人々”が、こんな
大罪を背負わざる得なくなるまで、何が彼らを追い詰めたのかを真剣に考え、向き合うことが、これからの世界を少しでも良いものにするための
第一歩であると伝えているのではないだろうか?
絶望の中、乗客と乗っ取り犯が祈っている神は、名前こそ違えど、同じ神なのだ。

そして、その後。
アメリカはこの事件の首謀者をビン・ラディン率いるアルカイーダと断定。アフガニスタンの政権であるタリバンがアルカイーダを匿っているとし、アフガニスタンに対し空爆を開始する。この事件を機に、50%を割っていたブッシュ大統領の支持率が90%にまで急騰。
見つかることの方が都合が悪いのではないかとさえ思えるほど一向に見つかる気配のないビンラディンをよそに、いつの間にか
すり替えと目くらましと嘘に塗り固められたイラク戦争が勃発。サダム・フセインを捕らえたことで、同時多発テロ・アフガン空爆・イラク戦争で命を落とした膨大な数の人々と遺族の悲しみをよそに、事態を収束させようとさえしている気配を感じる。
“詳細な情報を事前に掴んでいたのでは?”とも言われるこの事件。事実が明らかになることはないのだろうが、国の思惑によって失われるのは、本来
最優先に守らねばならぬ国民の命であることが、痛ましくて仕方がない。

利用させてはならない
↓↓ぽちりとお願いいたします↓↓
人気blogランキングへ