2016年01月17日

チャイルド44 森に消えた子供たち (Child 44)

監督 ダニエル・エスピノーサ 主演 トム・ハーディ
2015年 アメリカ/イギリス/チェコ/ルーマニア/ロシア映画 137分 サスペンス 採点★★★

快楽殺人鬼や連続殺人鬼ってどこか西洋や特にアメリカの特産品のような印象もありますが、日本で散発的に起きた殺人事件の概要を見ると、たまたま少数の犠牲者で済んでいただけの快楽殺人ってのも少なくないですよねぇ。

chff02.jpg

【ストーリー】
1953年、スターリン政権下のソ連。“西側の病気である殺人はユートピア社会では存在しない”という理由から、変死体で発見された戦友の子供を事故として処理するよう命じられた国家保安省のエリート捜査官レオ。殺人事件であるという疑念が拭えぬままやがて地方へと左遷されたレオは、その地でも同様の変死体と遭遇する。それが連続殺人事件であると確信したレオは、上司のネステロフと共に捜査に乗り出すのだが…。

chff03.jpg

チカチーロ事件をモデルにしたトム・ロブ・スミスによるベストセラー小説『チャイルド44』を、『デンジャラス・ラン』のダニエル・エスピノーサが映画化したサスペンス。製作にリドリー・スコットも。
ユートピアに殺人は存在しない”という建前を守るためだけに事件のもみ消しを命じられた男が真実を求め戦う姿と、全体主義社会の恐怖を描いた本作。ネタ元が一緒なので当たり前のことではあるんですけど、どこかオーウェルの『1984年』に通じるSF的怖さも感じられた一本。英雄になるのもエリートになるのも、そしてそこから転落するのも国家の胸先三寸で決められてしまう不条理さも良く描けている。また、最近“自由”ばかりが先走ってる感もあるが、その自由に付きまとう責任や代償ってものの重さってのも表現できていたのかと。
ただ、最初のカット版が5時間半に及んだという話からも推察できるように、一本の映画にするために大胆な省略や再構築を施すというよりも、原作の要素を可能な限り満遍なく取り込もうとしたせいか、盛り沢山だけどどれも消化不良のダイジェスト感が否めないのも事実。国家の目的が明確なのに対し、登場人物らの行動転機や動機が少々不明瞭になってしまってたり、軸となるテーマが乱立して大黒柱がない感じが惜しいなぁと。

chff01.jpg

重々しいダイジェスト版って印象だった作品ではあったものの、演者がその辺を存分に補ってたのが救いだった本作。
特に主人公のレオに扮した、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』『ウォーリアー』のトム・ハーディが素晴らしい。ロシア人に見えるかってのはさて置いて、内にある純粋さや正義感を力づくで無理やり抑え込んでいるような抑圧された人物が本当に似合う。言いたいことが山ほどあるのに抑え込んでしまい、口から出るのは唸り声のみみたいな、強い意志と我があるのに愚直で不器用だから何も言えない様が、なんかアホみたいな表現ですが堪らなく可愛い。妻のことを愛してやまないのに奥さんはそうでもなかったことを知っても唸るだけの様なんて、特にもう。
そんなトム・ハーディのみならず多くの男性キャラから想いを寄せられる妻役が『プロメテウス』のノオミ・ラパスなのは「どうなの?」と、上手い下手を差し置いて思っちゃったのは事実ではあるんですけど、凶暴な臆病者という立ち悪いにも程がある役柄に扮した『ラン・オールナイト』のジョエル・キナマンや、抑えられない衝動に苦悩する犯人に扮した『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』のパディ・コンシダイン、もうちょい掘り下げて欲しかったロボコップ』のゲイリー・オールドマンなど、好みの役者がしっかりと脇を固めていたのも好印象。
急逝したフィリップ・シーモア・ホフマンに代わって登板した『オーシャンズ13』のヴァンサン・カッセルや、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』のジェイソン・クラーク、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』のチャールズ・ダンスなど、隅々重厚な顔触れが配されてたのも魅力だった一本で。

chff04.jpg
向いてる方向が同じでも気持ちが同じとは限らず

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
ブログランキングならblogram   

        

        

posted by たお at 12:58 | Comment(6) | TrackBack(21) | 前にも観たアレ■た行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月22日

ターミネーター:新起動/ジェニシス (Terminator Genisys)

監督 アラン・テイラー 主演 アーノルド・シュワルツェネッガー
2015年 アメリカ映画 126分 アクション 採点★★★

タランティーノやキューブリック、クリストファー・ノーランにリチャード・リンクレイターといった、映画好きが好むとされる映像作家たちが案外苦手な私。そんな中でも、ジェームズ・キャメロンがどうにも肌に合わず。楽しんだ作品はあるんですけど、人や物語といったソフトよりもハードに目が行ってるような、冷たく光った鉄板のような味わいが苦手だったりも。相変わらず分かりにくい例えでアレですが、なんか全盛期のセガのゲームみたいな印象。私自身はどちらかといえばナムコとかジャレコが好きだったんですよねぇ。

tege01.jpg

【ストーリー】
人類と機械が壮絶な戦いを繰り広げていた2029年。抵抗軍のリーダーであるジョン・コナーの活躍で追い詰められた機械軍は、ジョンの母親サラを殺害し存在そのものを抹殺する為タイムマシンを使って1984年に殺人マシンを送る。サラを守るためジョンの右腕カイル・リースもその後を追うが、辿り着いた1984年は聞いていたはずの時代とは全く異なっていて…。

tege03.jpg

シュワルツェネッガーが『ターミネーター3』以来12年ぶりに復帰したことも話題となった、“ターミネーター”シリーズ第5弾。『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』のアラン・テイラーがメガホンを。
厳しいことから言えば、ターミネーターのようでいてターミネーターを観ている感じがしない本作。疑似親子愛がテーマにありターミネーターに人間味が増したとは言え、“シュワは機械”である基本を表現しきれず、“機械みたいなシュワ”で終わってしまった故かと。“機械みたいなシュワ”は“いつものシュワ”、イコール“ターミネーター”にはならず。また、時間軸が変わったのを良いことに好き放題やるのはいいが、新シリーズ開幕を宣言するだけの世界観を作れてるわけでもなければ、旧世界観を巧みに盛り込めてるわけでもない中途半端さも気になる所。スケールが大きいはずなのに見た目はTVサイズの演出手腕や、次に繋げるための伏線が伏線として機能する気に留める演出ではなく、思いつきでそこらに撒きっぱなしで忘れ去られてしまったような雑な所も目に。液体金属に浸っただけでアップデートされちゃう安易さには唖然としましたし。
とは言っても、1〜2作目の世界が微妙に変わってる様は良く出来たパロディのような楽しさがありましたし、個人的には大好きな3作目から“ロボットは重くて硬い”ってのを継承して、やたらと「ガイーン!ゴイーン!」なる様も嬉しかったので採点は甘めで。

tege04.jpg

サボタージュ』のシュワが当然ターミネーターに扮してるのだが、目立つ老いをどうするかと思ったら“生体部分は老いる”という微妙に納得できる設定で華麗にスルー。これにより“古いがポンコツではない”という、老いにより身に付いた哀愁を巧みに作品内で活かすことに。この旧世代の抵抗や滅びゆく者の最期の一手のような哀愁が非常に良かっただけに、無理にシュワを機械にせず、モデルとなった人間って設定でも良かったのかなぁとも。“人間味を増しても機械は機械”として描くバランス感覚が作り手になかっただけに。
『3』以降扱いの雑なジョン・コナーに扮した『ゼロ・ダーク・サーティ』のジェイソン・クラークや、頼りがいの無いカイルに扮した『アウトロー』のジェイ・コートニー、そのカイルが持ってた写真から察するに相当写真映りの悪い妙にプリンプリンなサラに扮したエミリア・クラークに、出来ればランス・ヘンリクセンにやって欲しかった84年の生き残り役に扮した『セッション』のJ・K・シモンズなど、決して悪くない顔触れが集まってた本作。ただ、存在はドデカイが決してドラマの中心に立つ役割ではないシュワばかりに偏ってしまい、ドラマ部の主人公であるはずの人間勢の描写が弱過ぎたせいか印象に薄し。サイバーダイン襲撃が起きてない設定なのでダイソンがまだ生きてるなど、膨らませれば面白くなりそうな物語なだけに、シリーズをバラバラにして組み直し楽しんでるだけな作りが惜しかったなぁと。

tege05.jpg
時間軸が違うと顔も変わる?

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
ブログランキングならblogram   

        

        

posted by たお at 14:48 | Comment(4) | TrackBack(49) | 前にも観たアレ■た行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月21日

007 スペクター (Spectre)

監督 サム・メンデス 主演 ダニエル・クレイグ
2015年 イギリス/アメリカ映画 148分 アクション 採点★★★

高級スーツに身を包んで高級車を乗り回し、世界各地の名所で美酒&美女三昧。しかも全部会社の金。人を殺しても建物を壊してもお咎めもなければ後始末も後片付けも他人に任せっきりで、車も当然乗り捨て。そりゃぁ憧れちゃうよなぁ、スパイってのには。案外スパイやジェームズ・ボンドに対する憧れって、ここにあるんだろうなぁ。

spec01.jpg

【ストーリー】
メキシコでの一件でMから職務停止を命じられたボンド。その頃ロンドンでは、スパイ不要論を掲げるマックス・デンビによる新諜報部の立ち上げが画策されていた。表立っての活動が出来なくなったボンドであったが、これまでの事件の背後に巨大組織の存在があることを知り、その真相を探るため秘密裏に動き出すのだが…。

spec03.jpg

シリーズの中では異例の連作となるダニエル・クレイグ版007第4弾。前作『007 スカイフォール』から引き続き『ジャーヘッド』のサム・メンデスがメガホンを。
ボンドの既存イメージからの脱却から始まったダニボンがボンドへの原点回帰を図ったことで話題を呼んだ前作『007 スカイフォール』。そこから更に“ボンドっぽくなった”とのコメントをそこかしこで見掛けた本作なんですけど、そもそも“ボンドらしさ”ってなんなんでしょうねぇ
アストンマーチンにウォッカ・マティーニ(ステアじゃなくシェイクで)、ガジェット満載の車にタキシード。確かにこれまでのボンドを彩ってきた要素はたんまりと盛り込まれてますけど、これらってのは例えが古くてアレですけど、千昌夫のモノマネをする際のホクロと変わらないんですよね。ボンドを表す際の記号でしかない。それだけをもって「ボンドらしい!」とするのは、ホクロを額に張り付けただけの人に対し「千昌夫そっくり!」と言ってるのと同じ。
お持ち帰りした美女を部屋に置き去りにしてド派手なアクションを繰り広げるオープニングや、美しい未亡人から色仕掛けで秘密を聞き出す様、『007/ロシアより愛をこめて』や『007/私を愛したスパイ』を彷彿させる列車内でも攻防に、雪山でのアクション。本作の見せ場はどれもこれもボンドらしい状況を描いているのだが、そこから感じられるのは“これぞボンド!”という充足感ではなく、“ボンド的ななにか”程度のものしかない。
それもこれも、ボンドっぽさをボンドならではにするひと手間がことごとく欠けているからなのではと。
それは「すぐ戻る」と美女を部屋に置いて大立ち回りをした後、何食わぬ顔で戻って来ていちゃつき始めてからのタイトルバック突入であったり、秘密を喋った未亡人がボンドの腕の中で息を引き取ることであったり、格闘シーンの合間にふと挟まれるユーモアであったり、雪山ではとりあえずスキーという定番さなどのひと手間。それらこそが少なくても私がボンド映画に感じられる“らしさ”なのだが、それが見事なまでにない。

spec05.jpg

もともと何作目から観ても大丈夫な敷居の低さと最低限の充足感を与えるクォリティ、そして代々積み重ねて受け継がれてきた“らしさ”が魅力だった本シリーズ。確かに時代とのズレが生じ、時代への迎合を余儀なくされるケースもあったが、それでも守るべき点は守られてきた感も。ただ、父の死去後に跡を受け継いだバーバラ・ブロッコリが実権を握ってからは、その迎合っぷりが加速度を増して“らしさ”すら見失ってきた印象すら。なんと言うか、敷居は高くないが値段以上の満足感を与えてきた街の高級洋食屋を企画会社が買い取り、支えてきた料理人を解雇してチェーン化したような感じ。昨今の作風の重々しさも、元々価値のあった看板に勝手に本来以上の重みを付けたしたかのようでも。これはこれで姿勢を貫き通せばいいのだが、新生ボンド像が早々と行き詰るとすぐさまベタベタのボンド像へと急転回。ただ、戻してみたは良いが料理人も秘伝のソースも捨ててしまったので、それっぽい味を急遽あしらうインスタント感否めず。時代と共に変化しなければならないのは十分理解できるが、らしさを失ってまでをも続けることには意味があるのかと思ったりも。
そもそも本作、設定や脚本がどうにも弱い。宿敵ブロフェルドを引っ張り出してきたは良いが、幼年期からの妙な因縁を付けてしまったおかげで「パパがボクよりボンドばっか相手するー!」と幼稚な動機が全面に出た、なんとも悪の首領としてのカリスマ性の無いブロフェルドに。スペクターも現実味こそあれど、要は悪い営利団体でしかない。ダニボン4作の背後に暗躍していたという設定だが、それまで白猫を撫でる手のシーンのようなものが一切なかっただけに、唐突感ハンパなし。なんかテコ入れされた少年マンガみたい。ブロフェルドは登場するなりベラベラ背景喋って、尚且つのこのこと前線にやって来た挙句に捕まるし。

spec04.jpg

“ダニエル・クレイグはボンドにだけは見えない”ってのは常々言ってきたことだし、だからこそ彼でしか生み出せないボンド映画ってのがあると思ってたんですけど、この2作でのボンド回帰はダニボンに違和感を生み出すのみ。残念ながらダニエル・クレイグを活かすわけでもなければ、ボンド映画としての基本を守るわけでもない、ただ看板と記号に頼りきった一本に。
また、最年長ボンドガールとして話題を呼ぶも、老いを隠しきってない映像の中で秘密を喋るだけの小さい役柄だった『シューテム・アップ』のモニカ・ベルッチや、既に『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』という別の人気スパイシリーズで印象的な役柄を演じてただけに二番煎じ感が抜けきれなかったレア・セドゥ、モリアーティのイメージまんまだったアンドリュー・スコット、扱いがジョーズ的なグラントだった『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のデイヴ・バウティスタ、卑屈さこそあれど分かりあうことが決してない別人種的な怖さまでは至ってなかった『グリーン・ホーネット』のクリストフ・ヴァルツなど、顔触れは良いが扱い方が安易なキャスティングも気になった印象も。お楽しみのテーマ曲も甘ったるい上に安易な人選で好みではなし。
ただ、ジュディ・デンチのMに辟易していた分、『グランド・ブダペスト・ホテル』のレイフ・ファインズによる官僚的な冷たさを持ちながらも行動的な新Mは非常に刺激的な存在であったし、ダニエル・クレイグのボンドに限界を感じつつも、『女王陛下の007』同様愛する者の為に職務を離れる本作のボンドの姿に、シリーズの中の異色という存在意義を見出せたので★ひとつオマケ気味で。

spec02.jpg
次こそはと願い続けた9年間

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
ブログランキングならblogram   

        

        

posted by たお at 14:34 | Comment(6) | TrackBack(47) | 前にも観たアレ■た行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

デッド・ハンティング (Preservation)

監督 クリストファー・デナム 主演 レン・シュミット
2014年 アメリカ映画 90分 ホラー 採点★★

緻密に作り込まれた箱庭世界の中を、犯罪者として自由気ままに行動できるっていう大人気ゲームのオンライン版でよく遊んでいる私。他のプレーヤーも大勢その世界に居るんですけど、“自由”ってのをモラルとスタイルからの解放と解釈したのか、単に実社会での鬱憤を晴らしたいだけなのか、憎悪や暴力性を剥き出しにしたかのように攻撃してくる輩も多々。私なんかは映画好きが影響しちゃったのか、自分のキャラクターの背景を勝手に想像して、それに沿った行動や服装、車選びなんかをして世界観を作ってるんですけど、派手なスーパーカーで通行人を撥ねまくり、戦闘機で人々を攻撃するそういう輩って、どういう世界観を持ってるのか疑問に思ったりも。

pres01.jpg

【ストーリー】
閉鎖された山奥の森林公園へ狩りを目的としたキャンプにやってきた、ウィトと夫のマイク、そして夫の兄ショーン。しかし、夜が明け目を覚ますと彼らの荷物は全て奪われ、彼らの額には標的マークが印されていた。ただのイタズラと考えていた彼らであったが、そこへ人間狩りを目的とした謎の集団が現れ…。

pres02.jpg

アルゴ』などに出演していたクリストファー・デナムが脚本と監督を務めたサバイバルアクションホラー。
公園に行ってまで頭を突き合わせ携帯ゲーム機で遊んでる子供らを見て「いまどきの若者は!」と憤る年配の愚痴を、そのまんま映像化したみたいな本作。ボール遊びすれば「こっちに飛んできたら危ない!」と怒り、走りまわれば「うるさい!」と怒鳴っておきながら何を言ってるんだか。それはさて置き、匿名を良いことに好き放題やってるネット社会を揶揄するかのように、覆面に無言の子供らが襲い来る様に恐怖を演出した本作。友人同士の会話は全てラインを通し、家出は良い子でもゲーム内では殺戮者である子供らの姿は非常に分かりやすく描かれているし、理由なき剥き出しの暴力性にはそれなりの恐怖感を演出出来ていたのかと。
ただまぁ、なんとも展開がかったるい。物語が進めばあっさり犯行グループの素性が分かるってのに、前半たっぷりと時間を掛け夫婦と兄のワケあり風の様を描いてミスリードを試み、いざ佳境に入っても如何せん登場人物数が少な過ぎるのでキモとなる殺戮シーンが間延びし過ぎ。その少ないシーンですら工夫のない変わり映えの無さで、“倒す→油断する→倒される”の繰り返しでしかないので違うシーンのはずなのに「まだやってんの?」と思ってしまうこと多々。この手の映画はまず見栄えのする殺戮シーンの工夫が大事なのに、中途半端にメッセージを載せようとした生真面目さが裏目に出たのか。結果、地味な顔触れが地味な舞台で地味に殺し合いをする、なんとも地味なホラーになっちゃった一本で。

pres03.jpg
自分も子供だったってことを忘れた大人の視点とも

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogramによるブログ分析   

        

タグ:★★ ホラー
posted by たお at 12:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 前にも観たアレ■た行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

22ジャンプストリート (22 Jump Street)

監督 フィル・ロード/クリストファー・ミラー 主演 ジョナ・ヒル
2014年 アメリカ映画 112分 コメディ 採点★★★

なんかついこの間も似たようなこと書いた気もしますが、ヒット作の続編に期待することって、別に予算増大による豪華さやスケールアップなんかじゃなく、以前と変わらぬ面白さってのを求めてたりするんですよねぇ。確かに豪華になると「おぉ!」とはなりますが、好きだったあの映画とは違うって印象になると元も子もありませんし。なんと言うか、行きつけのラーメン屋が繁盛した結果、好きだったシンプルな中華そばが伊勢海老とアワビの金箔入りラーメンに変貌しちゃったかのような。

22js01.jpg

【ストーリー】
麻薬ルート撲滅のために、今度は大学へ潜入することとなったシュミットとジェンコ。ところが、ジェンコが容疑者であるズークと意気投合してしまい、フットボールの花形選手として大活躍してしまったことから二人の間がギクシャクし始めてしまい…。

22js02.jpg

本部移転でタイトルも変わった、『21ジャンプストリート』の続編。前作に引き続き、『LEGO(R)ムービー』のフィル・ロードとクリストファー・ミラーのコンビがメガホンを。
劇中でネタになるほど、高校が大学になった以外基本的には前作と何も変わっていない本作。その変わらなさを筆頭に、“予算倍増で好き放題”や“見えないところに無駄遣い”など続編ビジネスってのをエンドクレジットに至るまで徹底的におちょくった笑いの数々がなんとも楽しい。また、ジョックスとギークの立場を逆転してみる試みこそ興味深かったが、如何せんスクールカーストを排除した学校描写でイマイチそれが効果を示してなかった前作と異なり、ジョックスが学園生活を謳歌するストレートな描写に変えた結果、本来なら混じり合うことのないシュミットとジェンコの関係性の面白さがより明確になった印象も。
お楽しみであるトリップシーンは良い方向にグダグダとなり、恋に友情にと敢えて定番的な内容の膨らませ方も効果的だった本作。個人的には前作以上に楽しめただけに、アナウンスされた第三弾も楽しみで。シリーズ作で鬼門となりがちな“パート3”をどうネタにするのか期待ですし。

22js03.jpg

ディス・イズ・ジ・エンド 俺たちハリウッドスターの最凶最期の日』のジョナ・ヒルと、『フォックスキャッチャー』のチャニング・テイタムによるコンビ芸が楽しい本作。攻撃的なジョナを見れないってのが少々寂しいのは事実ですけど、なんかカッコいいこと言えと言われて「なんかカッコいいことー!」と叫ぶチャニングの脳みそまで筋肉で埋め尽くされたボケと、それに対する的確なジョナの突っ込みが楽しめるのは本作ならではの面白さ。見た目からキャラまで全て正反対で、尚且つその真逆っぷりを笑いにちゃんと活かしている見事なコンビ芸だなぁと。
また、前作ではほぼゲスト扱いだったが、今回はより凶暴になって出番も増えた『トリプルX ネクスト・レベル』のアイス・キューブや、そのアイス・キューブとの大御所ラッパー同士の夫婦役がなんとも豪華だった『バレンタインデー』のクィーン・ラティファ、『クラウン』のピーター・ストーメア、オーウェン・ウィルソンからより一層知能指数を差っぴいた感じがちょいと可愛かった『カウボーイ&エイリアン』のワイアット・ラッセル、前作から引き続き登場する『インターンシップ』のロブ・リグルに『フライトナイト/恐怖の夜』のデイヴ・フランコといった賑やかな顔触れも楽しい一本。エンドクレジットに『グリーン・ホーネット』のセス・ローゲンと、『スケルトン・ツインズ 幸せな人生のはじめ方』のビル・ヘイダーが登場するのは嬉しい驚きでしたし。

22js04.jpg
そろそろコンビ名付けても良い頃かと

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogramによるブログ分析   

        

        

posted by たお at 12:04 | Comment(2) | TrackBack(2) | 前にも観たアレ■た行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月01日

トム・クルーズ/栄光の彼方に (All the Right Moves)

監督 マイケル・チャップマン 主演 トム・クルーズ
1983年 アメリカ映画 91分 ドラマ 採点★★★

若者の将来って、親はもちろんのこと学校の先生や会社の面接官といった大人の胸先三寸で決定しちゃうことが多いですよねぇ。バイト先の店長なり、会社の最初の上司によって先の30年が決まってしまうことさえ。さらにもっと突き詰めると、生まれ育った土地そのものが既に強い影響力を持ってたりも。その仕組みを根本から変えるってのは難しいので、先のある若者の皆さんにはそんなことを頭の片隅にでも入れて社会に出てもらいたいなぁと。ただただ流されるのではなく。

atrm01.jpg

【ストーリー】
ペンシルベニア州の廃れてしまった鉄鋼の町で育った高校生のステフ。一日でも早くこの町を出るため、そして夢であるエンジニアを目指すために大学進学を希望するも、不景気の煽りを受け彼の家には進学させるだけの経済的余裕はなかった。しかし、彼には各地の大学が注目するだけのフットボールの才能があり、彼もその奨学金を獲得する為に日々練習に明け暮れていた。だが、チームのコーチと衝突してしまったことから退部させられてしまい…。

atrm04.jpg

『タクシードライバー』や『ハリソン・フォード 逃亡者』など数多くの名作やヒット作の撮影監督を務めてきたマイケル・チャップマンが、初めて監督を務めて作り上げた青春ドラマ。今となってはリー・トンプソンのフルヌードとトムちんのトムチンが拝めるお宝映画として知られる本作ですが、見どころはそこだけにあらず。一番の見どころはもちろんそこですけど
それはさて置き、死にゆく田舎町から一刻も早く脱出したい若者の焦りと、功名を立て栄転をしたい大人の思惑、そしてその衝突が思いのほか生々しく描かれている本作。出世の邪魔になる存在を排除する行為が若者の人生を大きく狂わせてしまう事実を、文字として頭で理解しているが実感はしていない大人のリアルさや、自分の力だけではそれに対抗できない若者の苛立ちのリアルさが、どんよりとした雲に覆われたロケ地ペンシルベニア州ジョンズタウンの風景の閉塞感も相まって観る側にダイレクトに伝わってくる。
また、フットボールを題材にしている割に試合シーンがわずか一試合の短い時間なのだが、これがまたなかなかの臨場感。この辺は、撮影監督を務めたヤン・デ・ボンの手腕なんだろうなぁと。
積み重ねてきた切実さを一気に台無しにする強引ハッピーエンドは確かにアレだったんですが、“悪いことしたら出来るだけ早くゴメンなさいする!”って教訓だけは活きてるので、まぁいいかと。
それはそうと、普通エンドクレジットはキャストかメインのスタッフから流れてくるもんなんですが、本作のエンドクレジットはいきなり挿入歌のリストから流れてくる。しかも、どのシーンで使われてたかの注釈付き。ちょっとそれは親切でいいなぁと。

atrm02.jpg

本作やスマッシュヒットとなった『卒業白書』を含め、この年だけで4本もの出演作が公開されてた『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』のトム・クルーズ。絶賛売出し中のフレッシュさにこそ溢れていたが、如何せんまだまだブレイク前夜。劇中ずっとアホちゃんみたいに笑ってるか、アホちゃんみたいに怒ってるかのどっちかなので、正直“スター”と呼ぶにはまだまだ役不足感否めず。ただ、役柄がちょいとアホちゃんなジョックスなので「トムちん可愛いなぁ」と愛でる分には不足なし。また、西海岸の青い空と白い砂浜ってのが案外似合わないタイプなので、本作のような田舎町に佇む可愛い高校生役は見事にハマってたなぁと。
そんなトムちんの相手役には、こちらも絶賛売出し中ながらもやはりブレイク前夜にいた『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀』のリー・トンプソンが。なんとも初々しく生々しいラブシーンのインパクトに目を奪われがちだが、それ以外はいつもの愛くるしく可憐なリー・トンプソンを堪能。どんなシーンであっても、彼女が出てるだけで画面が和む。“彼氏の家の前にある電信柱に寄り掛かりながらサックス吹いてる女”と文字にすると危険な感じがするが、それがリー・トンプソンだと全然許せてしまう可愛げ爆弾。トムちん共々軽くアホちゃんっぽいので、なんか応援したくなるカップルだったなぁと。
その他、『スタスキー&ハッチ』のクリス・ペンに、『ポルターガイスト』のクレイグ・T・ネルソン、ワンシーンのみの登場だった『ミレニアム』のテリー・オクィンや『グレムリン』のディック・ミラーらも印象的だった一本で。

atrm05.jpg
可愛い娘だからって可愛い下着を着ているとは限らず

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
人気ブログをblogramで分析   

        

        

posted by たお at 22:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 前にも観たアレ■た行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月07日

デビルズ・ノット (Devil's Knot)

監督 アトム・エゴヤン 主演 コリン・ファース
2013年 アメリカ映画 114分 サスペンス 採点★★

事実の積み重ねがイコール真実になるわけではないんですよねぇ。Aにとって有利な事実の積み重ねと、Bにとって有利な事実の積み重ねが同じ結果を導き出すわけじゃないように。ドキュメンタリーなんかも真実と受け取られがちですが、あれなんかも真実を発見したわけじゃなく、作り手の意見に沿う事実の積み重ねでしかない場合も。実話やドキュメンタリー、それこそニュースと言われるものに対しても、そんなことを頭の片隅に入れておいて受け止めた方がいいんでしょうねぇ。

deko01.jpg

【ストーリー】
1993年、アーカンソー州ウエスト・メンフィス。この小さな町で三人の児童が惨殺される事件が発生する。地元警察は悪魔崇拝者の犯行とし、ヘビメタとオカルトを愛好していた三人の青年を容疑者として逮捕する。しかし、あまりに杜撰な警察の捜査と彼らを犯人とする根拠の薄さに疑問を感じた調査員のロンは、弁護士団に協力を申し出、独自に調査を開始する。だが、裁判は彼らにとって一方的に進んでいき…。

deko03.jpg

「有罪ってことには変わりないけど、なんか皆がうるさいから刑期満了ってことで出ていいよ」という、唖然とする展開を迎えたことも記憶に新しい“ウエスト・メンフィス3”の事件を取り扱った同名ノンフィクションを、『白い沈黙』のアトム・エゴヤンが映像化した実録サスペンス。
この事件を取り扱ったドキュメンタリー作品『パラダイス・ロスト』のレビューで、概要や経緯について書かせてもらったので、宜しかったら。
で、本作。結論から書かせてもらうと、ビックリするくらい掘り下げがされていない。それなりの重さと見応えはあるのだが、それは事件そのものが持つ衝撃度と演出の重々しさが生んでいるだけで、物語が生み出しているものではなし。非常に有名な事件で年月も然程経っていないこともあって関係者に気を遣ったのかも知れないが、“なぜ司法は頑なに彼らを犯人にしたいのか?”“なぜ悪魔崇拝者に対しそれほどまでに過敏に反応するのか?”などはおろか、土地の特異性や現代の魔女裁判となった経緯までもが掘り下げられず、さらっと上っ面だけをなぞった非常に表層的な作品に。独自のアプローチもされていないので、そもそもなんで作ったのかさえも疑問に感じてしまう、とっても残念な仕上がり。なんか、粗筋だけをなぞった小学生の読書感想文のような印象すら。
まぁ、下手に意図的な視野を加えず事実だけを並べ観客に問題を投げかけるタイプの作品なのかとも思ったが、「太郎君はリンゴ5個とみかんを7個持っています。どうですか?」みたいに問題にすらなっていないので、受け止めようもなし。

deko04.jpg

この掘り下げのなさは、全ての人物描写にも当てはまる。
キングスマン』のコリン・ファース扮する主人公は、なんか正義感的なものしか行動原理の見当たらない終始暗い顔をした人でしかないし、『幸せの始まりは』のリース・ウィザースプーンが扮する犠牲者の母親も、時間配分が多い割には“子供を失って悲しい”って役回りしかない、なんとも中途半端な立ち位置。
この、大物が揃ってるのに意味のある役回りがないってのが本作の特徴なのか、『リアル・スティール』のケヴィン・デュランドが扮した、『パラダイス・ロスト』では疑いの目を向けられていたジョン・マーク・バイヤーズは単なる変わり者だし、『SUPER 8/スーパーエイト』のブルース・グリーンウッドが扮した裁判官は理不尽な頑固者でしかない。この辺の残念具合は、似たような印象を受けた『エミリー・ローズ』も手掛けた、ポール・ハリス・ボードマンとスコット・デリクソンのらしさ発揮というところか。
ただまぁ、服装などのディテールに対する注意深さや、人物の雰囲気を巧く真似たキャスティングなど見所も少なくはない。だからこそ、ちゃんと掘り下げて独自のアプローチをした作品に仕上げて欲しかったなぁとも。
ちょっと厳しいことばかり書いてしまったこのレビューを読み直してみると、もしかするとこの事件に関する事前知識のある/なしが評価に大きな変化を与えてしまう、ちょっと不公平な観方をしてしまったのかなぁと頭をよぎりましたが、そもそも結構有名な事件で、これに関する作品も少なくないアメリカ本国での上映をまず第一に置かれて作っている作品なので、やっぱり評価と印象は変わらずで。

deko02.jpg
ただの三人組

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
ブログランキングならblogram   

        

        

posted by たお at 09:16 | Comment(4) | TrackBack(16) | 前にも観たアレ■た行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月03日

沈黙の制裁 (Absolution)

監督 キオニ・ワックスマン 主演 スティーヴン・セガール
2015年 ルーマニア/アメリカ映画 92分 アクション 採点★★

あんまりにも面白い映画を観た後って、なかなか他の映画に手を伸ばす気分になれないんですよねぇ。すっごく美味しいウニを食べちゃったんで、当分の間はそれまで普通に食べれてた回転寿司のウニが食べれなくなったみたいな感じ。こうなっちゃうと、それなりに面白い作品を観ていても心底楽しめなくなる場合があるので結構困りもので。でも、そんな時はセガールを観るのが一番。価値観のハードルを力ずくで下げてくれるセガールが、きっちりとリセットしてくれるはず。

abso01.jpg

【ストーリー】
これまで数多くの暗殺を請け負ってきたアレキサンダーは、ウクライナの闇社会の男の殺害をCIAに依頼される。難なくその仕事を終わらせたアレキサンダーだったが、地元組織に追われていた女性ナディアを助けたことにより、組織とCIA双方を敵に回すことになり…。

abso03.jpg

スティーヴン・セガール&キオニ・ワックスマン組による、いつものアレ。
前回の『リターンド・ソルジャー 正義執行人』ではその“普通の映画”っぷりに大いに驚かされましたが、それで全部を出し切っちゃったのか、さして複雑でもない物語なのにさっぱり頭に入ってこない展開が延々と続いたかと思いきや、ロシア美女をセガールがニヤニヤ見つめるセガール・ハッピータイムで唐突に締めくくる、ある意味セガール&キオニの真骨頂を満喫できる作品に。DJが居て音楽が鳴り響いているはずなのに、登場人物はひそひそと話し、足音が響き、どうしたらいいのか判らないように客がただユラユラと動いているクラブシーンのような、やる気も気配りも何も感じられないシーンの詰め合わせ。まぁ、しかめっ面と作り笑いの二種類の表情しかない棒読みロシア美女を重要な役回りを任せたり、セガールの目に付きそうな所には必ずセガール好みのロシア美女を随所に配したりと、そんなセガールに対する気配りだけはバッチリ決まってましたけど。
ただ、セガールは今回もそれなりに動いてくれてましたし、『沈黙の聖戦』以降がっちりとセガールに捕まったバイロン・マンや、最近セガールに捕まりかかってる『沈黙のSHINGEKI/進撃』のヴィニー・ジョーンズらがギリギリ映画っぽさを醸し出してくれているので、とりあえず最後までお付き合いできる作品に。
そしてなんと言っても、元UFC世界ヘビー級王者というよりも、日本のリングで大活躍した無類のアニメ&ゲーム好き格闘家としての印象が強いジョシュ・バーネットが出演してるってのが嬉しい。まぁ、セガールと日本語で会話するわけでも拳を交えるわけでもないんで、もう全部台無しなんですけどね。

abso02.jpg
ロシアンパブに行く感覚で映画を作ってる気が

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
ブログランキングならblogram   

        

posted by たお at 09:56 | Comment(0) | TrackBack(2) | 前にも観たアレ■た行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月25日

ドン・ジョン (Don Jon)

監督 ジョセフ・ゴードン=レヴィット 主演 ジョセフ・ゴードン=レヴィット
2013年 アメリカ映画 90分 ラブロマンス 採点★★★

「彼女が欲しい!」と言える立場にも作る立場にも居ないんでアレなんですが、もし万が一そういう状況になったら、やっぱり好きなものが共通している女性が良いですねぇ。若しくは、自分が愛してやまないものを毛嫌いしない人。また、その逆。ただまぁ、それが“映画”のこととなると幅が広過ぎて案外危険。ジャンルの違いなんかもそうなんですけど、相手の女性が「わたしムーラン・ルージュとか好きー!」って言う場合、上っ面の部分が好きなのか、ストレートとゲイの間で揺れ動いてるようなバズ・ラーマンの視点が好きなのかでその後の付き合い方が大きく変わりますし。前者の場合はろくに一緒に映画も観ない浅く短い付き合いになりそうですし、後者は後者で濃くて短い付き合いになりそうだし。

dojo04.jpg

【ストーリー】
クラブで毎晩美女をお持ち帰りするほどモテモテのジョン。そんな女性に困ることのないジョンであったが、彼にとっての“完璧なセックス”は生身の女性が相手のものではなく、ポルノのみが彼を満足させていた。そんなある夜、彼はセクシーな美女バーバラに出会い一目惚れ。見た目とは裏腹にガードが固く恋に真面目なバーバラにのめり込んでいくジョンであったが…。

dojo02.jpg

50/50 フィフティ・フィフティ』のジョセフ・ゴードン=レヴィットが、自らの脚本を長編としては初めて監督も務めて作り上げたラブコメディ。共演に『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』のスカーレット・ヨハンソン、『フライト・ゲーム』のジュリアン・ムーア、『21ジャンプストリート』のブリー・ラーソンらが。
見た目と中身のギャップ若しくは行動のギャップってものには、男女問わず弱いもので。不良が捨て犬に餌やってるのを目撃したり、普段男勝りの女の子が不意に見せるしおらしい仕草とか。そこによろめいて付き合い始めてもそんなシーンに出くわすのは極々稀なんですけど、たまたま当たった宝クジの興奮を味わいたいが如く、それを待ち続けてしまうんですよねぇ。一種の中毒で。
また、私もそうなんですが、自分の予想と違う行動やリアクションを取る“ちょっと変わった子”ってのにも弱いものなんですよねぇ。主導権を握ろうとしていたら知らぬうちに逆に握られてしまう状況に、なんかより一層マイルドになったソフトSM的な悦びすらあるのかも。
そんな男女関係を構築する上で陥ってしまいがちな状況や、双方の本音、そして相互理解の大切さに気づくまでの過程をポルノをモチーフに描き出した本作。テーマを浮かび上がらせるまでちょっと遠回りしすぎた感もあるし、テーマを明確にするためには仕方がなかったにしても、“ポルノはポルノ、本物は本物”と両立させたい派の私としては、“ポルノ=独りよがり”とバッサリいかれるのには若干納得いかないって面も。それでも、捉えるべき本質はしっかりと押さえているし、持て余す女を演じさせたらピカイチのスカーレット・ヨハンソンの使い方など役者ならではのキャラ活かしも光っていた、なかなか侮れない一本でも。
(500)日のサマー』のレヴィットを期待するとショック大な本作。ネタがネタなだけに「キーッ!下品!」と怒られる方も居られるのかも。ただ、もし「ま、描いてる本質は似たようなもんだよね」と楽しんでくれた女性が身近に居たら、もうその人と結婚しちゃえば良いんじゃないのかなと。

dojo01.jpg

こっから先は蛇足な上に結末に思い切り触れてるのでご注意を
夫と子供を事故で失ったエスターに相互理解の大切さを教わったジョンはプレイボーイからもポルノからも卒業し、エスターと共に“二人は幸せに過ごしたとさ。めでたしめでたし”的な結末を迎えるんですけど、どうもその締めくくりに違和感が。別にアップにならずとも若いお婆ちゃんみたいになってきちゃったジュリアン・ムーアとの年齢差に感じているわけではなく、逆にそこには西原理恵子のマンガだったと思うんですけど“最初の結婚は年上を選んでアレコレ学び、二回目の結婚では若い子を選んで自分が教える”的な深さってのを感じたんで良いんですけど、二人の関係はイコールじゃないのにその結末はどうなんだろうって違和感が。
確かにジョンにとってエスターから得れるものは非常に多いし、真の人間関係を味わえるって意味でも必要な存在。じゃぁ、エスターにとってはどうかと考えると、別に「若い彼氏ができてヤッホーイ!」ってわけでもないし、ジョンから何かを得れるわけでも、ジョンが家族を失った悲しみを誤魔化してくれる存在でもなさげ。そもそも“恋愛”って感情の上に成り立ってるとも思えず
“必要とされることで”とすると何か陳腐だし微妙に違うとも思うんですが、人間として大切なものに欠けていたジョンに自分の経験や考え、その肉体も含め与えることで辛うじて自分のバランスを保っているように思えるんですよねぇ。もちろんそういう上に成り立つ関係ってのは否定しませんし、“結婚”がグッドエンディングで“別れ”がバッドエンディングだとも思わないんですが、結末に至る前まではちゃんと描かれていたエスターの内面が、結末に突然無くなってしまってるかのような印象がちょいと残念だったなぁと。物憂げな眼差しが一瞬でも入ってれば、後々いろいろと考えさせられる作品になるほど印象が大きく変わったのに。
それでも、『ブギーナイツ』の時と同様にセックスの持つ様々な側面までも含めて教えてくれる、母親というか子宮そのもののような懐の深さや存在の大きさを、惚れ惚れするほどチャーミングに且つ豊かに表現してくれたジュリアン・ムーアが素晴らしい。ただベンチに座ってるだけのような小さなシーンにすら感情がある彼女の存在が、本作に非常に大きな影響を与えてたなぁと。

dojo03.jpg
関係性ってのは自ずと顔に出るもので

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
ブログランキングならblogram   

        

        

posted by たお at 01:24 | Comment(4) | TrackBack(7) | 前にも観たアレ■た行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月26日

チャッピー (Chappie)

監督 ニール・ブロムカンプ 主演 シャールト・コプリー
2015年 アメリカ/メキシコ/南アフリカ映画 120分 SF 採点★★★★

「こんな環境じゃ、やる気も出ねぇ!」と不平不満を漏らす方っていますよねぇ。私も“やれと言われるとやりたくない”って性質なので分からなくもないですし、子供なんかにとっては状況や環境ってのは大切なんだろうなぁと。ただ、大人はある程度自分をコントロール出来るんだから、そんなやらないで済む理由をウダウダ探してないで、まず“やれ”。“やる”と自分で決めろ。

chap01.jpg

【ストーリー】
2016年。凶悪犯罪が多発する南アフリカのヨハネスブルグでは、軍事企業テトラバール社が開発した警官ロボットが導入され一定の成果を挙げていた。その警官ロボットの開発者の一人であるディオンは画期的なAI(人工知能)を開発し廃棄されたロボットに搭載するも、ギャングにロボットもろとも誘拐されてしまう。ギャングはそのロボットを“チャッピー”と名付け犯罪の手助けに使おうとするも、チャッピーの知能はまだ赤子程度で…。

chap05.jpg

第9地区』のニール・ブロムカンプによる、赤子のロボコップをギャングが育てるっていう奇抜な設定が光るSFアクション。
犯罪者を生み出すのは貧困などの劣悪な環境なのか?それとも、その環境に置かれていても正しい導きがあれば正しい人間になるのか?
そんなアパルトヘイトの下で迫害されてきた黒人層のみならず、近年白人の貧困層が拡大しそれがまた犯罪の温床となっている南アフリカの社会問題を見つめた、非常にブロムカンプらしいテーマで描かれる本作。そして、その実験台となるのが赤ん坊同様まっさらな状態からスタートし、接し方や教育、環境や境遇によって性格や性質が形成されていくロボット“チャッピー”。僅か数日の寿命しかないチャッピーが周囲のエゴや思惑に振り回され、見た目の違いから迫害され、騙され、そして愛されながら急成長をしていく様を時にユーモラスに、時にエモーショナルに描く。“父”の教えに則り悪ぶってみたり、“創造主”からの絵本のプレゼントに子供のように喜んだり、その絵本の持つ本当の意味を“母”に教わる様には大いに笑わされ、知らぬうちに涙腺を緩まされ、そして“人間とは?”という大きな疑問が目の前にぶら下がってくる、めまぐるしいまでの展開に振り回され心を鷲づかみにする圧巻のストーリーテリングに驚かされる。

chap03.jpg

ここから先は大いにネタバレするのでご注意を。警告しましたからね!
ただこの作品、終盤にとんでもない展開へと突き進む。
僅かしかない寿命の中で芽生える人間性や葛藤といえば『ブレードランナー』のバッティが浮かぶのだが、本作はその影響を強く受けながらも全く違う展開を見せる。生命は限りあるからこそ美しく尊いということを理解したバッティだが、チャッピーは違う。「意識をコピーすればいいじゃん!」ってなる。元々ロボットである自分だけならまだしも、瀕死の創造主や最愛の“母”に対しても同様に「コピーすれば皆ずーっと生きれる!」ってなる。これには驚いた
ネタ元のひとつであろう『ロボコップ』にも、瀕死の相棒に対しロボコップが「大丈夫!オレのように直してくれる!」って台詞があるが、あれは強烈な皮肉であった。ただ、チャッピーのそれには皮肉が全く感じられない。チャッピーの健気さや愛くるしさに多少誤魔化されているのかも知れないが、機械の身体となり生きながらえるのがハッピーエンドのような描き方なのだ。私自身“人間を人間たらしめてるのは意識”と考えてる方なので、それが結果機械であろうが否定はしないんですけど、本作の“肉体は意識を収納する器でしかない”っていうドライさにはちょっと驚いた。「なんだい?これはデヴィッド・クローネンバーグの映画なのかい?」と。ただ、クローネンバーグの場合は“不完全な肉体を別の物質と融合することで補完する”という考えを医者的な鋭利さと粘膜質な描写で描くのに対し、ブロムカンプのそれはボルト&ナットの工学的なドライさという違いはありましたけど。
虫けらにしか見ていなかった異星人と同化する『第9地区』にあった皮肉がなくなり、ごく当たり前かのように白でも黒でもないまるで別のものに変化する本作の結末に、「あぁ、この監督は今の人間の形ってのに限界を感じてるのかなぁ…」と考えさせられた一本。宗教上の理由からAIを否定するライバルがとことんゲスに描かれているところからも、そんなことを推察させられましたし。
それにしても、最近お気楽な娯楽作しか観ていなかっただけに、既存の宗教や倫理観に全く縛られない進化の形を見せてくれる、こんな考えさせられる娯楽作は久しぶりで嬉しい限りで。

chap06.jpg

非常に人間らしい感情を持ちながらも、寿命に関しては葛藤ほどほどに人間離れした前向きさを見せたチャッピーの声と動きを担当したのは、『オープン・グレイヴ 感染』のシャールト・コプリー。彼自身の姿を思い描いちゃうとちょっとアレですが、身のこなしのみならず細かな部品の動きで感情を表現するチャッピーが捨てられた子犬みたいでなんとも可愛い。同じ性能と同じプログラムで動いてるにもかかわらず、なぜかこいつだけいっつも壊れるって時点で愛される気まんまんですし。えぇ、もうそこから愛してましたよ。
その他、『スラムドッグ$ミリオネア』のデヴ・パテルや、『リアル・スティール』同様ロボットは自分で操縦しないと気が済まない『X-MEN:フューチャー&パスト』のヒュー・ジャックマン、『キャビン』のシガーニー・ウィーヴァーといった大物がキャスティングされているが、やはり一番目を奪われたのがチャッピーの“父と母”に扮したニンジャとヨ=ランディ・ヴィッサーの二人で。
この作品を観るまではその存在を知らなかったんですが、南アフリカの貧困白人層のアイコン的なラップグループ“ダイ・アントワード”のラッパーの二人だとか。役名はそのままだし劇中には彼らの楽曲ばかり流れてるんで一種のキワモノ的扱いかと思いきや、チャッピーに会うや否や瞬く間に母性を発揮し“母”となるヨーランディに対し、“父”としての自覚をとことん持たず一家の危機になってようやく“父”となる手裏剣使いのニンジャという、母性と父性、男と女の違いを長編映画初出演とは思えぬ仕事っぷりで見事に表現。演技力どうのこうのと言うよりもこれが当人たちのパブリックイメージなんでしょうが、世界的に見ても自分の子供を預けるのに最も躊躇するタイプの人種に子育てをさせてみるって狙いがあるって意味では、これは最もハマるキャスティングであるし、当人たちも存分にそれに全力で応えたって感じで。

chap04.jpg

最後にこの問題にちょっとは触れたほうがいいんでしょうねぇ。“日本版だけ修正”って問題に。
私自身はほとんど関心がなかったのですが、一部では修正が入ったことに大きな不満の声が上がったとか。たぶんED‐209的なヤツがある人物の胴体をちょん切るシーンがそれだと思うんですけど、確かに胴体を挟んだかなぁと思ったら、よく分からないうちに地べたにモツをはみ出させた下半身が転がってるシーンは不自然。でも、そんなに騒ぐことかなぁ?
敵キャラの潜在的残虐性を表していたのだとしても、ちょっとしたサービスショットでしかなかったとしても作り手が意図していた当初の完全版じゃないものを観させられるのは個人的に不満はありますが、もうそんなこと今更始まったことではないんですよねぇ。ホラー映画が劇場でバンバンやってた頃でさえゴアシーンになるとネガが反転したりごっそりカットされてたり、エロいシーンになると巨大なマリモがスクリーン上を右往左往する国なんですよ、もともとココは。そもそも、レイティングや上映時間とのせめぎ合いで本国上映版も作り手の目指す完全版じゃないケースが多いですし。あ、「完成したものがオレのディレクターズ・カット版だ!」と常にシビれるセリフを吐いてるジョン・カーペンターは違いますけど。
まぁ、ビクビクし過ぎて自主規制ばっかしている上に、今回は事前に配給会社が直々に「修正してますよー」と公表しちゃう、全方位に気を遣い過ぎた過剰な自己防衛姿勢が問題の発端なので「清廉ぶってないでもっとヤンチャになれ!」と配給会社の方々には申したいところで。

chap02.jpg
やっぱりパパよりママなんだよなぁ

↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
blogramによるブログ分析   

        

        

posted by たお at 13:15 | Comment(10) | TrackBack(33) | 前にも観たアレ■た行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。