こんなある意味当たり前のことをふと思ったのも、先日とある人気アニメの映画版に関する話題を耳にしたから。なにやら、その映画のチケットの半券を集めると、その映画のフィルム一コマが貰えるとか。もうこの時点で「なんか違う」と思ってしまうんですけど、それを欲しいが為にオークションを利用したり、“半券譲って下さい!”ってプラカードを持って劇場に立つ輩が出ているそうで。中には17万近くを散財し144枚の半券を買った輩まで現れたそうなのだが、「それは“作品愛”なのかい?」と。144回観たってなら分かりますが。
まぁ、私もデヴィッド・ボウイやショーン・ビーンなんかにキャーキャー騒ぐ類の輩なんですが、じゃぁ“レッツ・ダンスを100枚買ったらサイン入り生写真!”とか、“必殺処刑人のDVDを100枚買ったらショーンと一杯!”みたいなキャンペーンがあったら喜ぶかと言えば、逆にひいてしまう気が。どうせなら1枚のレッツ・ダンスを100回聴きたいですし、ってか既にそれは超えちゃってますが、『必殺処刑人』は一回観れば充分。そもそも、ボウイやショーンにそんな安っぽい存在になっては欲しくないってのが本音。作品だけが身近にあって欲しいと。どうも最近、“身近”と“安っぽい”が間違った使われ方をしているなぁと思うんですが。
要は“貢いでる”だけのこのケース。“搾取”とも言う。「愛し方は様々」とは言ってみたものの、これは“作品愛”とはちょっと違うんじゃないのかなぁと思うんですよねぇ。どっちかと言えば、“自己愛”。自分は満足するかも知れないけど、作品の価値が上がるとか、次に更に良い作品が生まれるとかいうサイクルには当てはまらず、“貢ぐ/貢がせる”という下衆で安易な商法が蔓延して、結果的に業界全体にいい影響を与えない気も。無我夢中で貢いでいる人にはキツイ言い方だとは思うんですが、同じ映画ファンとしてはそんな行為を“愛”で片づける人間に同じ土俵に上がって欲しくないなぁと。なんと言うか、長州力が大仁田に「またぐなよ!」って言ったような感じで。
愛する作品の為には大金であろうと惜しまないってんであれば、金は出すけど口は出さないプロデューサーになった方が、作品の為だと思うんですよねぇ。今のままじゃ、喜ぶのはその作品に群がって儲けようとする輩だけでしょうし。
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