1990年 アメリカ映画 113分 SF 採点★★★★
朝目覚めた直後の、先ほどまで見ていた夢が現実の出来事としてまだ記憶に残っている僅かな時間ってのが結構好きだったりも。どんどんと消えていく夢の記憶を追いながら、夢であったことに失望したり安堵したりしながらベッドの中でウダウダとしている時間は、目覚めの一連の儀式のようなもので。時折ふと、「現実を“現実”として脳が認識している以上、夢もある意味現実だよなぁ」と考え込んだりもしますが、こんな考えから抜け出せなくなったら、それは分裂症というんですかねぇ。
【ストーリー】
2084年。夜な夜な火星の夢を見ていた建築現場で働くダグは、実際に火星を訪れる代わりに望みの記憶を植えつけてくれる“トータル・リコール社”に出向き、火星旅行を疑似体験することに。しかしその装置がダグに秘められていたある記憶を呼び戻してしまい、途端に彼は謎の組織に追われることに…。
“自分の記憶は本当に自分自身の記憶なの?”といった分裂症気味のテーマが多いフィリップ・K・ディックの短編小説“追憶売ります”を、“人間ってのは暴力とエロと血と臓物が詰まった肉袋なんだ”ってのを描き続けるポール・ヴァーホーヴェンが映画化。当初の予定通り『ヒストリー・オブ・バイオレンス』のデヴィッド・クローネンバーグが監督をしていれば、火星の空をバックにハッピーエンドを迎えたように思わせて、次のシーンではダグがトータル・リコール社の装置に座ったまま口から泡を吹いて痙攣を起こしている“今までのは全部植えつけられた記憶なんですよ”っていう真のエンディングを迎えていたのだろうが、ヴァーホーヴェンはその辺をバッサリ。結果、土方が火星でドンパチする作品になってはしまったが、これはこれで面白い。白い光に包まれるエンディングも、「これはやっぱり夢なのかも」と思わせ、辛うじてディックらしさも保ってますし。
トップスターを主役に据えた莫大な予算をかけたハリウッド製“ご家族でも安心のSFアドベンチャー巨編”のようにも思える本作だが、開始早々シュワルツェネッガーの目玉がカニの目のように飛び出し、銃弾を避ける為に盾にされた通りがかりの一般市民はズタズタにされ、死体をブチュリと踏み躙り、まるで性病患者のように顔が崩れ落ちているミュータントが跋扈するアムステルダムの歓楽街のような街並を舞台とし、またも目玉が飛び出す本作は思いのほか血生臭く、「オッパイ3つある人とか出てて面白かったね、パパ!」と目をキラキラさせて喜ぶ息子に「そうだね」と即答しかねて狼狽する親御さんたちを続出させることに。これだからヴァーホーヴェン映画は堪らない。確かにあまりに都合が良すぎる展開の目白押しではあるが、如何せん本編そのものが作られた夢ですので、そこに目くじらを立ててもしょうがないかなと。
税関を通り抜ける為にしては、プログラムされた語彙が「二週間よ」しかないのはどうかと思うオバサンスーツから、ダミーヘッドになっても然程違和感の感じない骨格を持つシュワルツェネッガーが登場するシーンが有名な本作。そのシュワルツェネッガーといえば“筋肉があれば大体は大丈夫”の筋肉演技が魅力なのだが、その反面“なんでそんなに筋肉が付いているんだ?”という理由付けも必要になることも。これまでもロボットだったり、“東欧の人は大体こんな感じなんだよ”と理由付けをされてきたが、今回は“土方だから”で一件落着。演技力云々を全て筋力で払拭する彼は、今回も当初はぎこちない台詞回しや、期待に胸を膨らませる表情を「ワクワクした感じの顔をして」と言われたままにやってみただけの表現力に不安感を募らせてくれるが、筋肉が活躍し始めるとそんな不安も一気に消し飛んでしまう。さすが大胸筋。
『ロボコップ』の時とほとんど同じキャラで登場する『キャノンズ』のロニー・コックスや、「『ロボコップ』ん時と同じキャラだからヤダ」と断られたカートウッド・スミスの代わりに頭頂部を含め色々似ていたからか、『ダブルボーダー』『マシニスト』のマイケル・アイアンサイドが筋肉の周りでギラギラギトギトと輝いているのだが、そんな彼ら以上のギラギト感をスクリーン上でもその裏でも放っていたのが、『ブロークン・フラワーズ』『ボビー』のシャロン・ストーン。色んな頑張りが『氷の微笑』でのブレイクに繋がったんだから、大したもんですねぇ。
無害のフリをするしたたか者
↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
人気blogランキングへ