1985年 アメリカ映画 85分 ホラー 採点★★★★
一人の異常者と、それに対する分かりやすい理由と原因を求める識者やメディアによってホラーが悪者にされて久しいですねぇ。犯罪を助長するいかがわしい代物としてバッシングを受け、店頭からも劇場からもブラウン管からもホラーが消え、直接的な人体損壊描写の少ない比較的安全な作品ばかりが残ることに。その一方で、『プライベート・ライアン』みたいに、低予算のホラー映画なんか目じゃないくらい凄まじい人体破壊がメジャー映画で繰り広げられてたりもしますが。まぁ、「ホラーはいかがわしくない!美しいんだ!」なんて擁護をするつもりなんてさらさらないですし、ことスプラッター映画なんかは根っこの部分でポルノと同じ映像的快楽に繋がってるのも実感として理解出来るんですけど、だからと言って“いかがわしいものをすべて排除するのが当然”みたいな心の狭すぎる世の中ってのは嫌だよなぁと。他人が何を好んでいようが別に良いじゃないの。
【ストーリー】
死体蘇生薬の開発に成功した医学生ハーバート・ウェストはルームメイトのダンと共に死体安置所で実験を行うが、蘇った死体は凶暴なゾンビと化し暴れ出し、そこへやって来た学長ホルジーを殺してしまう。彼らはホルジーの蘇生にも挑むが、ホルジーもまた凶暴なゾンビと化してしまう。そんなホルジーの診断をした脳外科医のヒルは死体蘇生薬の存在を嗅ぎつけ、それを奪おうとウェストのもとを訪れるが…。
H・P・ラブクラフトによる原作“死体蘇生者ハーバート・ウェスト”を、本作が劇映画デビューとなった『フロム・ビヨンド』のスチュアート・ゴードンが映画化した、日本公開時に“ZOMBIO(ゾンバイオ)”なるなんとなく言いたいことが分かるタイトルを頭に付けられていた、ゴシック風味のゾンビホラーのコメディ和え。製作総指揮には、本作以降ホラーファンの間で一躍その名を知られることになるが、作る作品作る作品基本的にアレなので、“ヤツの映画だからしょうがない”と諦めと大らかな気持ちで挑む覚悟の象徴にもなるブライアン・ユズナが。本作だったか『ドールズ』だったかどの作品なのかは忘れちゃいましたが、当時劇場で巨大ロボット同士が戦ってたり、アマゾネスが荒廃した惑星の檻に閉じ込められてたりする魅惑的なイラストが切手シートタイプのチラシにびっしり描かれた“近日公開予定”チラシを貰ったのも良い思い出。その大半が作られもしなかったってのも、今となっては良い思い出の一つ。さすがエンパイア・ピクチャーズ。
80年代のスプラッター映画ブームを語る上で外すことの出来ない本作。決してそのブームのど真ん中に立つ作品ではないが、埋もれて消え去っていた数多くの作品とは異なり、独特なユーモアと暴走するゴア描写が織りなす強烈な個性がいまだ輝き続ける一本。
その見せ場だけを簡単にリストアップすると、
■筋肉ムキムキゾンビがチ○チ○をぶらぶらさせながら大暴れ!
■首を切断された男がブロッケン伯爵ゾンビになる!
■性欲を暴走させるブロッケン伯爵が裸にひんむいたヒロインに生首ク○ニ!
■その生首を怒ったヒロインのパパゾンビが捻りつぶす!
■チ○チ○ぶらぶらさせたゾンビ集団がスクリーンを埋め尽くす!
■腸が元気いっぱい飛び出し人間に絡みつく!
■バーバラ・クランプトンの柔らかそうなオッパイ!
ほら、もう文字だけでも魅惑的。妄想を爆発させた中学男子が前かがみになってビデオ屋直行。
そんな、特殊メイクを学ぶ学生たちを「現場体験できるよ!」って甘い言葉でタダ働きさせて作り上げた創意工夫溢れるゴア描写と、惜しげもなくその揉み心地の良さそうなオッパイをさらけ出すバーバラ・クランプトンの体当たりエロ描写(一部の好事家向けにダルダルに太ったオバサンのヌードも!)といった、文字通りエログロが炸裂する作品ではあるんですが、本作の魅力はそこだけに集中しているわけではあらず。
本作や『キャッスル・フリーク』のイメージから、ブレーキの壊れたダンプカーの如く暴走と破壊を繰り広げる作風の監督、若しくはチ○チ○ブラブラさせるのが好きな監督と思われがちなスチュアート・ゴードンですが、元々舞台出身でゴシックホラー好きってのもあり、本作でもゴア描写以外の演出は基本的にゴシック調で非常に手堅い。舞台こそ現代だが、どこかハマーフィルムのような香りすら。その丁寧で手堅い演出から一転、ゴア描写になると大暴走するローギアとトップギアしかないふり幅の極端さが魅力。どっちか一方に偏ってたり、段階を踏んだエスカレートでは味わうことの出来ない極端すぎる緩急が本作をここまで輝かせている。
また、作品の雰囲気こそはかけ離れているが、ラブクラフトの原作からポイントだけはしっかりと押さえていたり、男のキャラクターが新しい生命の創造に躍起になる中、唯一生命創造の鍵を握る女性キャラがだけがそれに異を唱えたりと、原作に対するリスペクトと独自のテーマ性を確立している点も見事。「イヤイヤ!」といちゃついてるシーンから「いいわ!いいわ!」とベッドシーンへと繋がるように、何気に編集も気が利いていて巧い。
本国ではコメディとして認知されている本作。ただ、それは端から狙った笑いではなく、やり過ぎと不器用さから自然発生的に生まれた笑いがほとんど。特徴的なのは、さっきまで身綺麗で厳格だった学長がゾンビになると同時にコント髪のアホになってしまうシーン。場面の意味合いも演者もシリアスなのに、絵面がコントだからなんともシュール。そんな狙いすぎない自然な笑いも本作の魅力で。
当たり役を手にしシリーズを象徴する役者になっただけではなく、ホラーアイコンとして数々の作品に起用され作り手の通っぷりをアピールする丁度いい人材となった『さまよう魂たち』のジェフリー・コムズを筆頭に、ハーバート・ウェストがふっ飛んでる分、観客の心の拠り所として機能していたブルース・アボット、“揉みたいオッパイランキング”なるものが存在すれば間違いなく上位に君臨してたであろうバーバラ・クランプトンなど、この後しばらくジャンル的にお馴染みとなる顔触れが揃ってるのも嬉しかった本作。そんな若手の奮闘と、この後程なくして亡くなってしまったデヴィッド・ゲイルの怪演が強い印象を残した一本で。
個人的な思い出話でアレなんですが、当時本国で話題になってることは専門誌などで知ってはいましたが、日本公開のめどは立っておらず幻の作品だった本作。そんな折、街角の小さなビデオ屋で直輸入の海賊版ビデオを発見。レンタル料金が軽く1000円を超えてた時代、本作に限っては3000円の値が。友達から金を集めていざ皆で鑑賞すると、劇場のスクリーンを直で撮ったようで観客の声から頭からなにもかにも入り込んでる上に、やたら青い画面のピントも合ってない粗悪な代物。そんなものでも期間中繰り返し観たのは良い思い出で。数年後に初めて劇場で観た時、全てのシーンをすっかり覚えていたせいか、バーバラ・クランプトンのオッパイの白さに一番驚いたってのも、今となっては良い思い出で。
因みに、最初に出てくるムキムキゾンビに扮していたのが、『ターミネーター』から『ジングル・オール・ザ・ウェイ』まで14作連続でシュワルツェネッガーのスタントダブルを担当したピーター・ケントだってのと、ボウイがこの作品のファンだったっていう小ネタをねじ込んでおしまい。
“揉めるけど見れない”ってのと“見れるけど揉めない”ってのではどっちがいいかなぁ
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