2002年 イギリス映画 113分 ホラー 採点★★★★
子供の頃、両親に散々ねだって連れてってもらった『ゾンビ』。両親は観た事自体を後悔頻りだったようですが、いやぁ面白かったですねぇ。そして、怖かった。意味がさっぱり解らなくて怖かった。今でこそベースにマシスンの“地球最後の男”があり、更に遡れば吸血鬼があるってのを理解しているんですけど、当時は“惑星爆発の影響で〜”なんて説明が付いていようが、「死体が蘇るって何なの?怖い!」「噛まれたらゾンビになるって何なの?怖い!!」と、ショック描写の数々なんかよりもゾンビの存在そのものが理解不能で怖かったものでしたねぇ。最近じゃ、ウチの5歳児が気軽に「ゾンビゾンビ!」と口走るように、ゾンビも市民権を得て随分と認知されるようになりましたが、その反面あの頃のような理解できない怖さってのは味わえなくなったんでしょうねぇ。「パパ、またゾンビ観てんのぉ?」とウチでは日常会話化しちゃってますし。

【ストーリー】
ロンドン市内の病院で意識を取り戻したジム。しかし、院内は荒れ果て人の姿は全くなかった。状況を掴めぬまま街中へと向かったジムであったが、そこにも人の姿はなく、人を探す彼の叫び声も無常に木霊するのみであった。やがて古びた教会に辿り着いた彼が目にしたのは、床に積み重なった無数の死体と、その中で蠢く何者かの影で…。

『ザ・ビーチ』『サンシャイン2057』のダニー・ボイル&アレックス・ガーランド組による、「どーせゾンビはウスノロだから、上手くやり過ごせば何とかなんじゃね?」という甘い考えを木っ端微塵にした“走るゾンビ”の先駆け的サバイバルホラー。厳密に言えば“ゾンビ”ではなく“感染者”だが、生きてるか死んでるか以外に違いはないので以下ゾンビに統一。入力も楽ですし。
ゾンビじゃなくても何かが全速力でこっちに向かってくれば十分過ぎるほど怖いのだが、それに頼りっきりではない本作。“走るゾンビ”は、あくまで更なる緊迫感と逃れようのない絶望感を生み出すために機能している。また、無人の街に響き渡る「ハロー!」の呼び声や軍宿舎内に飼われているゾンビなど、『死霊のえじき』の影響もそこかしこに見られるが、それをなぞってるだけでもなし。ゾンビそのものよりも、それによって生み出される社会の変化と恐怖にしっかりと的が絞られている。そもそもの発端となった“レイジウィルス”ってのが、血と暴力に彩られた人間の歴史の凝縮体というか、人間の暗部そのものであるというのも興味深い。
同じように、動物愛護の為なら法もそっちのけのエコテロリストが、救い出した猿に襲われた途端に躊躇なく猿を殺そうとする様に見える欺瞞性や、後半に登場する軍隊の、指揮系統の守られた集団がおかしな方向に進んでしまった時の恐怖など、社会の二面性や脆さを巧みに盛り込んだ舞台設定も面白い。

そして何よりも、人間ドラマを描くのに重きを置いているってのが良い。
中でも、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のブレンダン・グリーソン扮するフランクと、この後映画に出ている気配がないのはもったいないミーガン・バーンズが扮したハンナとの父娘関係の描写は絶品。特に人間の負の面が全面に出ている中、フランクの優しくて前向きで、悲しさと苦しさを心の中に秘めながらも笑顔を忘れない、劇中で唯一の希望を感じさせる存在はどのキャラクターよりも大きい。自ら感染し、残り数秒しかない正気の間に可能な限りの愛を娘に伝えようとするシーンは何度観ても胸を締付けられるし、この作品を思い出す時は必ず一緒に思い出す名シーン。本作以降どの作品でブレンダン・グリーソンを見ても、必ずこれを思い出しますし。また、昏睡状態の息子の為に脱出ではなく自宅に留まる選択をし、その息子を想いながら自らの命を絶つ両親のシーンも、非常にさり気ないながらも胸を打つ名シーンで。
このブレンダン・グリーソンを前にすると、主演である『ダークナイト ライジング』のキリアン・マーフィの線の細さはそのまま存在感の薄さに繋がってしまう。ただ、元々ユアン・マクレガーやライアン・ゴズリングにオファーされてたことから分かるように、何も出来ない文明人が極限状態で野生に帰る、『脱出』や『サランドラ』のような側面も持つ物語であるので、この薄さは正しい選択で。
デジカメを使用したチャカチャカとしたダニー・ボイルらしい映像は、正直なところ好みの部類ではないのだが、それを補っても余りある深みと恐怖を味わえる名ゾンビ映画の一本で。

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