2010年 アメリカ映画 97分 サスペンス 採点★★★★
自分にとっての“善”や“正義”ってのが主義主張として表れるんですが、もちろんそれは一方的なものでもあるんで“正しい”ってのとはまた別なんですよねぇ。相反する主義が必要になる場面も出てくるでしょうし。
【ストーリー】
国内3都市に核爆弾が仕掛けられるテロ事件が発生。イスラム系アメリカ人の犯人ヤンガーはすぐに逮捕、FBIテロ対策チームのヘレン・ブロディ捜査官らが招集され爆弾の所在を聞き出す為の尋問が始められる。そこへ尋問のスペシャリストとされる謎の男“H”も参加。彼は拷問も厭わない残忍な方法で尋問を開始する。彼の非人道的な手法に反発するヘレンであったが、爆発予告の時間まで残り僅かとなり…。
『戦争のはじめかた』のグレゴール・ジョーダンによる、人それぞれが持つ倫理の天秤を試すかのようなサスペンス。
どんな悪人であってもその人が持つ人権は守らなければならないし、拷問は許されるものではない。少なくても国際的には、表向きそうである。では、その悪人によって数百万人が殺されそうになってる場合でも、それは頑なに守られるべきなのか?本作は、そんな問いから幕を開ける。登場人物らが出した答えは、多分大多数の観客と同じで“表向きにはイエス”としながらも、そっと目を背け、誰か自分の代わりに手を汚してくれる人物に委ねてしまう。「数百万人もの命が掛かってるなら仕方がない」と。そこに疑問が生まれる。「じゃぁ、千人だったら?十人だったら?一人だったら?自分の家族一人の命だったら?」と、「結局は数の問題なのか?」という疑問が。そして、一度目を背けてしまったら、もう後戻りも出来ない。本作は、そこに更なる追い打ちを掛けてくる。想像もしたくない追い打ちを。
答えを観客に委ねるタイプの作品のように思えるが、本作はそうではない。答えは既に“正しくない”と出ている。ただ、“正しい”だけでは済まされない状況に観客を放り込み、その主義を大きく揺さぶってくる。しかしながら、揺れ動くのは正しい反応だ。“自分の信じている事を押し通す”というのは美しい響きであるが、そもそもそれが何の為の主義なのかを忘れてしまっては意味もないことであるし。本来守らねばならない存在を犠牲にしてまで主義を守るということは、単に自己満足にしか過ぎないし、非常に危険な考え方でもあるようにも。そんな人間がリーダーとして君臨することほど怖いことはないと、本作を観ながらふと思わせられた次第で。人道的行為が勝利を収めたように思わせておいて、そこに大きな疑問符を投げかける日本公開版のエンディングも非常に秀逸な、最近稀に見る“考えさせられる”作品であったなぁと。
尋問&拷問のスペシャリスト“H”に扮したのは、『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』『フリーダムランド』のサミュエル・L・ジャクソン。「反対はした」という免罪符と共に理性や建前では否定したい行為を自分の代わりに行ってくれる存在であり、自分の役割をしっかりと理解しているかのような冷静さを持つ“H”を見事に好演。ここ最近アベンジャーズ絡みでのサクっとした仕事ばかり見ていたので、「そう言えばサミュエルって良い役者なんだよなぁ」ってことを再確認。
一方、建前の象徴のようなFBI捜査官ブロディに扮したのが、『ゾンビーノ』のキャリー=アン・モス。なんか久しぶり。サミュエルの存在感がでか過ぎたってのもあるんですが、凛とした佇まいの割に芯の強さがイマイチ上手く伝わってこない、“H”と向き合うにはちょいと弱い印象が惜しかったかなぁと。男勝りの活躍をしながらも女性としての強さと優しさを上手に表現できる、それこそジュリアン・ムーアくらいじゃないと釣り合いが取れなかったのかなぁ。
その他、テロの標的が国家と言うよりもハリボテの倫理観であるようにも思えたテロリスト役に『トロン:レガシー』のマイケル・シーン、『スーパーマン リターンズ』で脚光を浴びるも、それ以降は小さな役でしか見たことない気がするブランドン・ラウスらも出演。
余談ではありますけど、本作を観ながらふと「実際にこんな事が起きたらどうなるんだろー?」という考えが頭を。イランとの関わりもあるテロリストの要求は数百万人の命と引き換えに、中東諸国からのアメリカ軍の撤退。情報がシャットアウトされているので、テロリストに脅されている事を国民は知らないって前提。そうなると、大統領は“数百万人の国民の命”と“莫大なオイルマネー&軍需”ってのを天秤に掛けるってことに。それだけの数の人が殺されるってのも大問題だし、都市が受けるダメージも甚大。一方、石油産業と軍需産業が持つ影響力は強大なものだろうし、後援者として莫大な献金も行っていたはず。マイケル・ムーアじゃないけど、コツコツと税金を納めてくれる顔の知らない国民と、何百万ドルもの大金をポンと手渡してくれる顔見知りの友人との天秤。
で、テロリストの要求にこたえる前に運良く核爆弾が見つかったとして、それで「あぁ良かった良かった」と果たして終わるのかなぁと。目の前に転がってるのはイランに攻め入る大義名分。OPEC第2位の石油生産国であり、世界第2位の天然ガス埋蔵量を誇り、欧米諸国の憎まれ役を買って出ているイラン。ただ今回は、天秤に掛けるモノがない。大義名分を振りかざす為の犠牲が“まだない”。でも、作る気になれば作れなくもない。
なんかもう、これこそ“Unthinkable”なことだなぁと思った次第で。
「見てただけ」ってのは通用せず
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汚れ仕事をする部署・人が存在する(らしい)。
日本だったら、責任を取りたくない“責任者”たちが話し合ってる間に時間切れ! となるんじゃないかと嫌な想像をしてしまいました。
良し悪しは別にしても、決定できないリーダーばっかりですからねぇ^^;
政治の世界のみならず、映画界の“製作委員会”なんぞ、責任の所在を分かりにくくするための仕組みでしかないですし。結果出来上がる作品が、箸にも棒にもかからない代物ばかり…。
アメリカらしいですね。
これ日本だったらどうするこうする?で終わってそう^^;
どちらが正しいかは難しいですね。
なにかと密室の日本だと、案外迷わず…。それも怖いですねぇ。