2011年12月06日

それは違うと思うんですが

映画なり音楽なり、その作品を愛する余り取る行動って様々ありますよねぇ。その世界観に浸れるグッズを集めたり、誰よりも深い知識を得るため様々な文献を読み漁ったり、果ては映画監督やミュージシャンになったりと、ちょっと好きだって程度では近づけない領域に達することもしばしば。行動も様々なように、その監督なりミュージシャンなりがとてつもない駄作を発表しても愛してやまない偏愛を見せたり、情け容赦なく罵倒したりと、愛の形も様々。

こんなある意味当たり前のことをふと思ったのも、先日とある人気アニメの映画版に関する話題を耳にしたから。なにやら、その映画のチケットの半券を集めると、その映画のフィルム一コマが貰えるとか。もうこの時点で「なんか違う」と思ってしまうんですけど、それを欲しいが為にオークションを利用したり、“半券譲って下さい!”ってプラカードを持って劇場に立つ輩が出ているそうで。中には17万近くを散財し144枚の半券を買った輩まで現れたそうなのだが、「それは“作品愛”なのかい?」と。144回観たってなら分かりますが
まぁ、私もデヴィッド・ボウイやショーン・ビーンなんかにキャーキャー騒ぐ類の輩なんですが、じゃぁ“レッツ・ダンスを100枚買ったらサイン入り生写真!”とか、“必殺処刑人のDVDを100枚買ったらショーンと一杯!”みたいなキャンペーンがあったら喜ぶかと言えば、逆にひいてしまう気が。どうせなら1枚のレッツ・ダンスを100回聴きたいですし、ってか既にそれは超えちゃってますが、『必殺処刑人』は一回観れば充分。そもそも、ボウイやショーンにそんな安っぽい存在になっては欲しくないってのが本音。作品だけが身近にあって欲しいと。どうも最近、“身近”と“安っぽい”が間違った使われ方をしているなぁと思うんですが。

要は“貢いでる”だけのこのケース。“搾取”とも言う。「愛し方は様々」とは言ってみたものの、これは“作品愛”とはちょっと違うんじゃないのかなぁと思うんですよねぇ。どっちかと言えば、“自己愛”。自分は満足するかも知れないけど、作品の価値が上がるとか、次に更に良い作品が生まれるとかいうサイクルには当てはまらず、“貢ぐ/貢がせる”という下衆で安易な商法が蔓延して、結果的に業界全体にいい影響を与えない気も。無我夢中で貢いでいる人にはキツイ言い方だとは思うんですが、同じ映画ファンとしてはそんな行為を“愛”で片づける人間に同じ土俵に上がって欲しくないなぁと。なんと言うか、長州力が大仁田に「またぐなよ!」って言ったような感じで。
愛する作品の為には大金であろうと惜しまないってんであれば、金は出すけど口は出さないプロデューサーになった方が、作品の為だと思うんですよねぇ。今のままじゃ、喜ぶのはその作品に群がって儲けようとする輩だけでしょうし。


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タグ:雑記
posted by たお at 12:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日々のあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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