1982年 アメリカ映画 90分 コメディ 採点★★★★★
楽しかったにしろ辛かったにしろ、高校時代の思い出ってのは誰にとっても古びないものなんじゃないでしょうか。「えぇ!?もう、そんなに経つの!?」の“そんなに”って、大体が高校時代を起点にしてたりしますもの。一昨日の晩飯はなかなか思い出せないのに、高校時代のある一瞬はまるで昨日の出来事のように細部まで覚えてたりするんですよね。自分の考え方が定まり始め、経験もまた積み始めた頃だからなんでしょうかねぇ。
【ストーリー】
リッジモンド高校の生徒の皆さんは、一人を除き、恋だバイトだと大忙し。
自分如きがウダウダと書くこと自体おこがましく思える、時代を優に超えたマスターピース。『あの頃ペニー・レインと』のキャメロン・クロウが、その童顔をふる活用で高校生に成りすまし高校に潜入、高校生の実態をリアルに描きあげた原作の映画化。今となっては再結集不可能と思える、駆け出し時代の大物俳優総出演で描く青春群像コメディ。
“くだらないエロコメディの一本”としか見られていないフシのある本作だが、アメリカならではのシチュエーションこそ違えど、劇中の彼らの悩みや喜び、期待や不安は私たちのそれと何ら変わらず、観ている間中記憶の扉が次々と開け放たれる快感と連帯感を強く感じる作品だ。まぁ、高校時代に黒板と教科書以外に目もくれなかった方々には“くだらない”他人事なんでしょうが。
世間に触れ始める高校生にとって、外の社会に対する期待と不安の象徴は“大人達”である。大人たちは自分の将来の理想系となる憧れの存在であり、自分の自由を阻害し、将来を幻滅させる天敵でもある。子供達の視点から全くブレることのない本作には、“親”は登場しない。社会への導き手であり最初の扉である親達は、もう社会への第一歩を踏み始めた高校生にとっての外社会での接点ではない。彼らにとっての“大人”は、学校の先生であり、バイト先の店長であり、嫌な客であるのだ。その大人達と触れることで、彼らは初めて社会を知ることとなる。
若者特有の視野の狭さと浅はかさによって、彼らはクスリを楽しみ、セックスを重ね、妊娠をし、中絶を経験する。そして、その年頃としては悩みぬき、考え抜いてはいるのだが、その浅はかな考えのまま問題を解決しようとする。しかし、その行動に「けしからん!」と背を向けるのは、戦争映画に「人が死に過ぎる!」と背を向けるのと変わらない。私たちがどうであったのかを思い出すべきであり、どうすべきなのかを考えなければならないのではないだろうか。
登場人物に自分の知っている誰かを、または自分自身を重ねることの出来る本作。非常に活き活きとしたセリフの数々や、覚えのある行動の数々があるからこそ、何年経っても変わらない面白さがあるのであろう。
ショーン・ペン、ジェニファー・ジェイソン・リー、フィービー・ケイツ、アンソニー・エドワーズ、エリック・ストルツ、フォレスト・ウィッテカー、そしてニコラス・ケイジ。今これだけの顔ぶれを揃えたら、どんな大作になってしまうのか。この錚々たる若手俳優達が演じるキャラクターの全てに監督が溢れんばかりの愛情をかけているのがヒシヒシと伝わってくる。カメラの向こうで身悶えしているのが見えてきそうだ。その誰一人として欠かすことの出来ないキャラクターの中でも、ショーン・ペン扮するジェフ・スピコーリのなんと素晴らしいこと。常にマイペースで無責任でラリっているスピコーリは、人間というよりは妖精だ。この後の青春コメディには必ずと言っていいほど“スピコーリ”的キャラクターが登場するが、彼以上の存在には未だ出会ったことがない。ジェフ・スピコーリに匹敵するキャラクターは、『アニマル・ハウス』のブルートくらいではないだろうか?まるで普段着な自然さを感じるショーン・ペンのジェフ・スピコーリだが、そこはショーン・ペン。役に入り込むのに相当の努力をしていたようで、役に入り込み中のショーン・ペンには怖くて近づけなかったとか。
当時“スクリーン”や“ロードショー”の表紙を幾度となく飾っていたフィービー・ケイツの可愛らしさも絶品。プロデューサーがうっかり口説いてしまうほどの可愛らしさを持つ彼女が水着を脱ぎ胸をさらけ出すシーンの強烈さが、この作品を“エロコメ”と呼ばせてしまう要因であるのだが、それだけのインパクトは確かにある。レンタルビデオではそのシーンばかりが繰り返し再生されるので、そこにノイズが走るという逸話が残っているほどだ。私ですか?もちろん繰り返し観ましたよ。それがなにか?
すごい顔ぶれの“同窓会”
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