2010年 アメリカ映画 100分 ホラー 採点★★
赤ん坊って、何もない一点を見つめながら笑ったり号泣し始めたりすることがありますよねぇ。うちの子供らも、赤ん坊の頃ひとりで天井の一点を見つめてケラケラ笑ってたものです。そんな時うちの女房は、「あらぁ、子守のおばさんが来てるのねぇ」なんて言ってましたが、私にはどうしてもそれが“小森のおばさま”にしか聞こえず、どうせなら一緒に淀長も来てくれればいいのにとボンヤリ思ってたもので。
【ストーリー】
待望の長男も生まれ幸せいっぱいのレイ一家。そんなある日、家に戻ると部屋中が荒らされており、空き巣の犯行と考えた一家は各部屋に監視カメラを設置することに。だが、不可解な現象は日に日にエスカレートしていき…。
前作『パラノーマル・アクティビティ』が思いのほか面白かったので手に取ってみたシリーズ第二弾。極めて低予算で作り上げる高利益率ぶりと、「おわかりいただけたであろうか」的なノリは相変わらず。
安易な二番煎じではなく、監視カメラの映像をベースにする工夫が施された本作。動きの出ない定点カメラのデメリットを、要所要所に手持ちカメラの映像を挟み込む事で解消。しかしながら、カメラが切り替わる過程で何かが生まれ変化していくザッピングの面白さが全く活かされておらず、手持ちカメラの映像にもそのカメラを持つだけの説得力がないのは痛い。
また、怪現象が前作の主人公ケイティーと本作の主人公クリスティの姉妹の一家にまつわる過去の因縁に由来している事が臭わされているのだが、シリーズとして統一感を持たせるメリットがある半面、所詮ある特定の人物以外にとっては他人事であることが判明してしまうので、恐怖感が激減してしまうデメリットも。怪談は、場所と人物が限定されないからこそ、“明日は我が身”的恐怖が生まれるのに。まぁ、鍋が動くとか犬が吠えるといった些細な出来事からジワジワと現象がエスカレートするのではなく、順を追ってエスカレートせずに突然大きな音を出してビックリさせようとする粗末な演出自体が、恐怖感激減の大きな要因なんですが。恐怖とビックリを履き違えてしまった、非常に分かり易い例だなぁと。
“最初に生まれた男児を生贄にしないと呪うよ”って設定の割に、生まれる前から呪い始めてる悪魔さんの気の早さは多少気になる所ではありましたが、契約不履行を訴えようにもそもそも悪魔さんは悪の塊なんだから、それ位の嘘は嘘の内に入らないんだろうなぁと妙に納得。
怖い順が“悪魔>幽霊>人間”ってのに、文化の違いを
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