1974年 日本/タイ映画 80分 特撮 採点★★★
日本中の男の子の例に違わず、子供時代はウルトラマンに夢中だった私。まぁ、今もあんまり変わらないっちゃぁ変わらないんですが。お気に入りがウルトラセブンだった私は、リアルタイム世代の割にウルトラマンタロウを“ガキくさい”という理由で毛嫌いしとりました。子供のくせに。で、最近タロウを観直す機会があったわけなんですが、怪獣を塩漬けにして怪獣汁を絞り取ったり、怪獣の体内で巨大化して破裂させたりと、かなりのバイオレンス。やるなぁ、タロウ。こういうのでいつも騒ぎ出すのが、ザマス母と尻に敷かれ父。子供の精神衛生上よろしくないんだって。へぇ。いつかきちんと自分なりに因果関係を明確にした記事を書きますが、そう言っている割には、エログロといった “臭いもの”に蓋をして育てられた世代の方が、かなり歯止めが利いていない気がするんですけどねぇ。
【ストーリー】
太陽のウッカリで灼熱に晒されたタイ。仏像泥棒に殺された少年コチャンは、その勇気をウルトラの母に認められ、タイの神話の英雄ハヌマーンとして蘇る。一方その頃、人工的に雨を降らせる実験中にロケットが爆発。その衝撃で、地下に眠っていた怪獣軍団が目を覚ましてしまった。
独自のウルトラマンが作られるなど、根強いウルトラマン人気を持つタイと日本の合作映画。原題では“7人のウルトラマン”になっているのでセブン上司が出てくるのかと思いきや、ウルトラの母がカウントされてました。
敬虔な仏教徒の国であるタイで仏像にオイタをすると酷い目に遭うことは『マッハ!』でもお馴染みだが、ムエタイの達人が一直線に追いかけてくる『マッハ!』と違い、本作では巨大な白猿が“仏様を大切にしない者は死ぬべきだ”という非常にストレートな理論の基、「一人残らず殺してやる!!」と追っかけてくるのだから気迫が違う。仏様は大切にしませんと。
「現世がダメなら、来世でなんとかすればいいや」という敗者復活戦的思想の国のせいか、あっさりと人が死ぬのもこの作品の特徴。主人公の男の子が顔面を撃たれて死に、その報復のため窃盗団が一人づつ握り潰されていく、ディズニー映画など子供向け映画では滅多に観れない描写がてんこ盛りなのも、この作品の魅力。同じタイ映画でも、『マッハ!』よりも遥かに多くの日本人の目に触れたであろうこの作品を観て、子供心に言い様のない違和感を覚えた方も多いのでは。近くて遠いアジアの奥深さですねぇ。
で、作品全体を覆う暴力描写の割に、物語の元凶である太陽の異常接近の解決を「オイオイ太陽よ。近づきすぎてるぞ!」「ゴメンゴメン、うっかりしてたよ」と、平和的対話で迎えるのも、奥深きアジアの味ですねぇ。
“空を飛ぶ”と言えば、両手を突き出し地表と水平に飛ぶ“スーパーマン飛び”しか浮かばなくなるほど、いかに欧米思想に毒されてしまっていたかを痛感させられる自由度の高い“ハヌマーン飛び”を散々っぱら見せ付けられた後に、ようやくウルトラ6兄弟と怪獣軍団の登場。だが、お馴染みの顔ぶれが揃ったからといって安心できないのも、この作品の魅力である。デパートの屋上ショー並の造形を誇る怪獣軍団が5匹。一方、ウルトラマン側は白猿を含め7人。もう既に数の上で優位に立っているウルトラ一派は、怪獣が一匹事故で焼け死んだのをいいことに、残る4匹を頭蓋骨を剥き出しにしたり真っ二つにしたりの大殺戮大会。最後の一匹に到っては、散々袋叩きにされた上に両手を押さえられた状態で棒で頭を殴られ続けるウルトラリンチ。地上での活動時間制限がないもんだから、好き放題です。日本での鬱憤をアジア各国で晴らすジャパニーズサラリーマンみたいですねぇ。
“仏様は大切に”と“数は多い方がいい”という至極真っ当な教訓を授けてくれる本作なのだが、主役であるハヌマーンの全身乾燥肌かのように掻き毟る動きがイライラするので、減点。いくら猿だからって。
俺が一声かけりゃ、こんなもんよ
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まぁムエタイ使いのウルトラマンの企画とか色々あったようですが、アメリカではウケない彼らも受け入れられたのはやはり仏像が日常にある仏教国同士、だからなんでしょうかね?
天竺に着き、神様になった孫悟空の流れを汲むのがハヌマーンですが、まさか後世こういう事になろうとは思いもしなかったでしょうなぁ…
チャイヨープロの仮面ライダーは写真でしか見たことがないのですが、なんかゴッドがすごく小さかったような。。。
特撮ヒーローとしてのハヌマーンも大分バージョンアップしてきているようですが、きっと飛び方はあのままなんでしょうねぇ。