後にファンゴリアなんかでそのカラクリが分かったんですが、目の錯覚とカメラの死角を巧みに突いた、非常にトム・サヴィーニらしいまさにシネマジックなアイディアに、これまた非常に驚いたもので。無い予算と時間の中で、どれだけ観客を驚かせるかを考え抜いた職人の技そのもの。
そんなことを思い出したのも、どうにも最近特殊効果で驚かされていないから。確かに映像技術は凄まじい勢いで進化してるんですが、それは処理能力の進化でしかないんじゃないのかと。なんと言うか、アニメで手品を観させられているかのようで、どんなに凄いシーンでも「そりゃぁ、こういうことも出来るようになっただろうねぇ」程度の印象しか感じられない。なんか、“絵”って感じ。
世代によっては「何を言ってるの、コノ人?」ってなるとは思うんですが、例えば毎度工夫と技術が見事に融合したスタントを見せてくれる007シリーズのオープニングアクションが全てCG処理になったとしたら、そりゃぁもう心躍らない事この上なしなんじゃないのかなぁと。『007/ダイ・アナザー・デイ』みたいに。
無論“CG全否定”する気なんて、さらさらなし。もう抜きでは映画も成立しづらくなってきてますし、今更ダミーヘッドが爆発する様を観させられても失笑を買うだけなのではと。もちろん『スキャナーズ』や『デッドリー・フレンド』など、ダミーヘッドが破裂する映画が大好きな私は拍手喝采ですが。
ただ、“生”と“作り物”の融合ってのは重要なのかなぁと。もう充分大人だったのに声を出して驚いた『回路』の飛び降り自殺シーンのように。あれはもう、何度も何度も蒔き戻して繋ぎ目を探したものです。
こういう映像の工夫って、無い金と時間の中を持ち前の見世物根性でカバーするホラー映画なんかが得意とする分野だと思うんですが、最近はそのホラーであっても血飛沫すらCGで済ましちゃうからガッカリしちゃうんですよねぇ。弾着やら破裂やらはCGでも良いんですけど、飛び散る血くらいは生の血糊を使おうよと。やっぱり生が一番なんだよと、最後の一分だけを読まれると大いに勘違いされること間違いなしな感じで、今日の愚痴はおしまいー。
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