未だに記憶に強く残っている事件。
あの“ジョンベネ殺人事件”の容疑者が逮捕されたニュースは、どこの番組でもトップニュース扱いで報道されているので皆さんご覧になったことでしょう。
容疑者が自供している姿も流れてはいるが、決定的な証拠を基に司法が判決を下しているわけではないので、今の時点では一番上のボタンまで締めたポロシャツをきっちりズボンにたくし込んでいる着こなしがイヤだって以外は、特に言うことはない。
決して許されるべき犯罪ではないのだが、全てが解明されるまではもう終わったかのようにギャーギャー騒ぐべきではないとも思う。
信じられない話かもしれないが、世の中には自分の命を含め全てを投げ捨ててでも注目を浴び有名になりたいと願う人もいるのだ。ましてや、自身の人生がどん底にある時は尚更に。
この件とは直接的には関係がないのだが、ふと昔雑誌で読んだ事件のことを思い出した。
1987年、アメリカニューヨーク州。
結婚生活25年で、3人の息子を持ち、優秀な中学教師として地元で尊敬されていたアーノルド・フリードマン宅に警察が突入して、少年のヌードが掲載された写真集を押収。そして彼が自宅で開催していたパソコン教室に通っていた生徒の親達が、「うちの息子もレイプされた」と騒ぎ出した。
警察は彼を少年達に対するレイプ容疑で起訴をするのだが、後の調査で被害者の誰一人として確かな記憶を持つ者がいないことが明らかになる。
何故か?
このレイプに関する被害者の証言は全て催眠術によって引き出されたものだったからだ。術士の意図や質問の仕方、事前情報によって容易に記憶を捏造できる催眠術によってだ。
しかし驚くのはこれからだ。
同じパソコン教室に通っていてレイプなどなかったを主張していた当時18歳のフリードマンの末息子も共犯者として逮捕されてしまう。
「有罪を認めれば息子は助けてやる」と検察に脅された父親は終身刑を受け入れたものの、息子は地元住民から選別された陪審員によって有罪とされてしまう。
失意の父親は自殺。
息子は18年間獄中で過ごし、釈放後も“ミーガン法”によって彼の罪状は公表され続け、体内に埋め込まれた発信機によって一生涯監視されることとなる。
この事件を追ったドキュメンタリー映画がアメリカでは公開されたようだが、日本ではソフト化もされていないようだ。
日本でも検討され続けている“陪審制”。裁判映画でも御馴染みで、複数の人間が判断することにより、偏見に左右されないより正確な判断が導かれる“民主主義の象徴”的に思われがちだが、人間であるが故に逆に偏見や思い込みに左右されやすいという一面もある。
「犯人に違いない」「犯人であって欲しい」という思い込みに支配された裁判は、こう呼ぶ以外に言葉が見当たらない。
魔女裁判と。
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タグ:雑記
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『Capturing the Friedmans (2003)』という題名でアメリカではDVD化されていますが
それによると現在彼氏の長男でビットは子供のパーティーを盛り上げるお呼ばれピエロ
で生計を立てているそうですが…
『12人の優しい日本人』を気軽に楽しめるのも日本ならでは、ちょっと前のOJ事件、
最近ではマイケル裁判といい、比較的左寄りと言われるCNNですら結構な偏りをして
いましたが、これがFoxとかだとどうなんでしょうね… 情報の商品化が年収に比例して
いる格差社会ではこのジョン・ベネ事件でも凄い人権侵害が成されたものですが、そんな
アメリカ人が好むのがヨーロッパでは既に廃れつつあるリアリティTV、ってのも妙な気が
しなくもありませんがドキュメンタリーでもエンターテイメント的演出をして娯楽として
消費しやすくしようとする根っ子は近いんでしょうかね…
最大の産業が情報になるアメリカならではって言ってしまえばそれまでなんですが・・・。
この事件にしろ、ウェスト・メンフィス・スリーの事件にしろ、底辺層の事件とエンタテイメントとしてのビジネスが生み出す問題は、根が深いですね。。。