1999年 日本映画 108分 特撮 採点★★★
妖怪ってのが自然や自然現象を具象化した存在であるのと同様に、怪獣ってのはやっぱり空襲や原爆、戦争そのものを象徴してるんでしょうねぇ。その辺が、戦争国家であるにもかかわらず、本土空襲や本土決戦を経験した事の無いアメリカではなく、日本で怪獣文化が花開いた要因の一つなのかもと。抗う事の出来ない強大な力だったり、国の為に殺戮行為を行う矛盾なんかが孕まれてるのが怪獣なんですかねぇ。
【ストーリー】
巨大怪鳥ギャオスが世界中で大量発生。そんな中、ギャオスを追って渋谷にガメラが現れ、その戦いにより渋谷は壊滅。多数の死傷者を出す結果に。これにより政府と世論はガメラを危険視する方向へと動いてしまう。一方、4年前にガメラとギャオスの戦いで両親を巻き添えにされてしまった少女綾奈は、奈良の洞窟で伝説の生物“柳星張”の卵を発見。綾奈によってイリスと名付けられたその生物は、ガメラを憎む綾奈の憎悪を糧に成長していき…。
監督・金子修介、特撮監督・樋口真嗣、脚本・伊藤和典チームによる、『ガメラ 大怪獣空中決戦』『ガメラ2 レギオン襲来』に続く平成ガメラ三部作の最終章。本シリーズの素晴らしさを書き始めるとまた長くなってしまうので、もし興味がありましたら過去作のレビューを参照して頂けたらと。
前2作で完成されていたガメラと現実社会との関わりを単純に深めるだけには留まらず、三作目にして新たな一歩を踏み出した本作。地球環境の守護神ながらも、地球を救う為に更なる環境悪化を進めてしまうガメラ。また、地球環境を救う為に多くの人間を犠牲にしてしまうが、その一方で人間との関係を断ち切れないガメラ。このガメラが抱えてしまう矛盾のみならず、そのガメラを憎むあまりに世界を滅ぼす力を持つイリスを解き放ってしまう少女、ギャオス大量発生を前に、ガメラ討伐へと動いてしまう政府と世論の動きなど、映画の中では出来るだけ避けて通りたい“矛盾”というものに真正面から挑んだ意欲と勇気が素晴らしい。お楽しみの特撮も、ボリュームアップに走るのではなく、登場ポイントを厳選した上に、狭い屋内で巨大怪獣同士が戦うという更に高いハードルに挑む姿勢も見事。
しかしながら、深い考察を重ねた形跡が伺えるテーマと、更なるレベルアップを果たした特撮、人間ドラマが前2作のように奇跡的なさじ加減で融合していたかと言うと、残念ながら印象は散漫。テーマは登場人物のセリフに頼ってしまい、特撮と人間ドラマは交わるというよりは平行線の印象が。巫女の末裔や天才ゲームプログラマーといったキャラクターも、演出力の問題か演技力の問題か、エキセントリックではあるが、その反面現実社会との接点を失わせ、一気に絵空事臭を漂わせる結果になった感も。
個人的な好みの問題なのかも知れないが、「欲張っちゃったかなぁ」って印象が。ただまぁ、その欲張りは作り手にとって大切な心構えでもあるので、決して嫌いではありませんが。
『ガメラ 大怪獣空中決戦』に続いて鳥類学者の長峰役に扮する中山忍や、シリーズを通してフワフワしている藤谷文子、何か怪獣を呼び寄せる臭いでも発してる気もしてきた螢雪次朗など、シリーズでお馴染の顔ぶれがそこかしこに登場する本作。それ以外にも、前田愛や山咲千里、手塚とおる、ひょこっと出てきてサクっとミイラになる仲間由紀恵など、隅々に意外な顔ぶれも。
しかし、やはり本作の見所はガメラとイリス。軟体動物のような下半身に如何にも平成怪獣然とした上半身を持つイリスは、正直あまり好みのデザインではないのだが、より戦闘的な鋭角的でアグレッシブなデザインとなったガメラのカッコ良さは絶品。満身創痍で息も絶え絶えながらも、迫り来るギャオスの大群に向かい咆哮を上げる姿は痺れるほど。“滅びの美学”を、華々しく潔い死として描いてしまう作品も少なくないのだが、本来なら死を覚悟しながらも心臓の鼓動の最後の一打ちまで生に執着し死に抗う、ある種その往生際の悪さがあってこその美学なのではと。そういう意味では、本作のガメラは美しい。古代人によって作り上げられた生物説が濃厚なガメラに雄か雌かを問うのも不毛な気もしますが、本作も含めこのシリーズのガメラは、まさに男の中の男だなぁと。
「愚痴ってもいいのよ」と優しく抱きしめてくれる相手までも突き放し
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