2009年 アメリカ映画 108分 サスペンス 採点★★★★
“あるべき論”ってのを嫌う人も少なくないですよねぇ。確かに理想を実現しようにも、現実そんなに甘くはないですし。ただ、あるべき論って、実現する事が最大目標じゃない気がするんですよねぇ。“あるべき姿”ってのを常に意識しているかどうかが重要じゃないのかと。もちろん、それが物理的に不可能な事や、誰にとってのあるべき姿なのかを履き違えていると、スタートから大間違いにはなっちゃうんですけど。まぁ、この辺は私の文章力じゃ簡潔に説明できる気が全くしないんで、誰か飲みに連れてってくれるのであれば、その場で懇々とお話しますよ。まず間違いなく存分に話が脇道に逸れた挙句、最終的に“ゾンビが現れたらどうサバイバルするか?”って話に落ち着いてしまう気もいたしますが。

【ストーリー】
妻と娘を二人組の強盗に殺害されたクライド。犯人は捕まるが証拠に決定力が乏しかった為、なんとしても有罪を勝ち取りたい検事のニックは主犯と司法取引を行い、その結果共犯者は死刑判決を受ける。主犯が重い刑を逃れた事に納得がいかないクライドだったが、彼に成す術は何もなかった。10年後、共犯の死刑執行が行われるが、本来は無痛の安楽死のはずが、彼はもがき苦しみながら死んでいく。また、既に自由の身となっていた主犯も、無残なバラバラ死体となって発見される。程なく容疑者としてクライドが逮捕されるが、クライドの復讐はまだ始まったばかりで…。

『ソルト』『リベリオン 反逆者』のカート・ウィマーの脚本を、『Be Cool/ビー・クール』のF・ゲイリー・グレイが映像化した、現在の司法制度に問題を投げかけるサスペンス。
いきなりでなんだが、クライドの行為は心情こそ理解できるが、行為そのものは許されざるものである。恐怖をもって自らの理屈を通そうとするそのやり方は、テロリストのそれと何ら変わりはない。緻密な計画に基づいた犯行ではあるが、ある意味ただひたすら喚き散らしているのと変わらないとも言える。しかしながら、本作はそんなクライドの行為の是非を問う作品ではない。国の為に働く愛国者であった男を、その国の司法に対しテロ行為を働くまでに追い詰めてしまったシステムそのものを問う作品なのである。泣き喚いている人の姿を見て、その原因に思いを馳せるタイプの。
確かに、余計な捻りを加えた上にカラクリが後半に行く程どんどん雑になっていき、挙げくにオチを置きに行ってしまう、カート・ウィマーの悪い部分が存分に出てしまっている作品ではある。検事であるニックを法の側の人間として最後まで貫き通して描く事が出来ず、結果的に同じ穴のむじなになって終わる締まりの悪さなど、特に顕著に出てしまっている気も。その締まりの悪さが、正義の遂行や家族といった、本来ニックが最も大切にしなければならなかった事を思い出して終わる結末に、“思い出したように見える”という若干釈然としない雰囲気を残してしまっているようにも。ただ、現在進行形の問題を描いているだけに、この釈然としなさは正しい結末なのかも知れない。“刑務所にいる犯人がどうやって犯行を続けるのか?”というトリックありきで始まった作品なのであろうが、そのトリックの雑さがかえってテーマをより浮き彫りにした、災い転じて福となるパターンで。
時間の経過と共に粗ばかりが目立ってくるタイプの作品ではあるものの、手堅い演出と役者の熱演がその粗を充分に補っているので、観終わった直後の印象としては、満足度は決して低くない。

実は結構物騒な人物であったクライドに扮しているのは、『男と女の不都合な真実』『マリオネット・ゲーム』のジェラルド・バトラー。本作では製作も買って出てるせいもあってか、冒頭以外は常に怒りっ放しという相当な気合の入れよう。彼お馴染のエネルギッシュな“熱さ”はそのままに、冷静沈着かつ冷酷さも兼ね備えたクライドを非常に魅力的に演じた事で、大義は別にしてもやってる事はサイコホラーの殺人鬼と何ら変わらないのに、観客を味方につけるだけのカリスマ性を感じる主人公を見事に好演。
また、見方によっては知り合いこそ随分と死んじゃったが、自分自身は特に大きな代償を支払うことなく出世して終わっただけのようにも思えるニックに扮していたのは、『バレンタインデー』『マイアミ・バイス』のジェイミー・フォックス。誠実さよりも狡猾さが顔に出てきてしまっている分、特にそう思えてしまうのかも。この二人の、コンビ役であれば最悪だが、敵対する役柄としては理想的な噛み合わなさが、相反する二人のキャラクターの関係性をより明確にし、作品に非常に良い緊迫感を生み出していたように思える。“噛み合わない”が褒め言葉になるのかは分かりませんが、本作での噛み合わなさは絶品。
その他、犯人以外の関係者では最も悲惨な最期を遂げる『ミッドナイト・ミート・トレイン』のレスリー・ビブや、『ラスト・ボーイスカウト』のブルース・マッギル、「証拠を台無しにした警察は対象じゃないんだ!?」と思ってしまった『レイヤー・ケーキ』のコルム・ミーニイに、最終絶叫計画シリーズでばっかり見ている気がする『最終絶叫計画4』のレジーナ・ホールなどが共演。それぞれが非常に良い仕事をしているが、どことなく理性的な香りのするフィラデルフィアの街並みが、本作の主題を際立たせる一番良い仕事をしてたのかも。

気付いても、それを行動に出来るかは本人次第
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検事の家族を彼の目の前で、つまらない強盗か何かに殺されるような状況を作らなかったのは、主人公が感情移入を失う以外の理由があるんでしょうか?こうして見た後いろいろ思えるってことで元はとれる作品だったなという褒め方は出来ますか…。長々すみません。
犯行を行うためのトリックではなく、司法を手玉に取るためのトリックに着目してる作品だから、犯行トリックは雑になってもOKだったのかな?(苦笑)
原題が皮肉が効いていて好きです。
検事や弁護士が使う方のトリックの1つ:司法取引を、クライドは持ち出す。
さも、法的に認められてる権限・手段を有効利用してるだけって素振りで・・・
その辺のほとんどは、カート・ウィマーの雑さが生んでしまった不透明さ立ったりすると思うんですよねぇ。本来手直しされるべき部分も、製作者も兼ねてるんで、ほとんど第三者の意見が入ってないのかも。
>雑になってもOKだったのかな?
ホントはダメなんですけどねぇw
“法に忠実”って、その文言に忠実でいるのか、根幹に忠実でいるのかで大きく結果が変わりますよねぇ。
でも、見せたのは、B級感たっぷりながら、役者がよかったからでしょうね。
独房に行くまでは結構頭を捻った作りなんですが、それ以降はどんどん雑になっていく残念な作りではありましたねぇ。ただそれをジェラルド・バトラーで逃げ切った感が^^;
もうすっかり記憶から消えてる作品なのでどうだったのか定かじゃないんですが、読み直してみてもそう思えなかったガサツさが気になったんだろうなぁと。