2000年 日本映画 115分 ホラー 採点★★★★
“女の感”とはよく言われますが、男にもないわけじゃないんですよ。あるにはあるんですが、こと女性関係の問題に対しては、脳細胞以外の部分が活性化して自己主張を始めてしまうので当てにならないだけで。まぁアレですね。女性関連で重大な決断をする際は、まず一人でアレして冷静さを取り戻すことが先決でございますね。
七年前に妻を亡くしたビデオ会社を経営する青山は、一人息子の勧めもあって再婚を考え始める。そんな青山に友人の吉川が、映画制作を名目にオーディションを開き、その中から気に入った女性を探すように提案する。そのオーディションで意中の女性・麻美を見つけ、彼女と親しくなった青山だったが、彼女と接点を持つ人物が誰も居ないことに不審を持ち調べてみると、恐ろしい事実が浮かび上がっていき…。
日本国内よりも海外での評価の方が圧倒的に高い、三池崇史。その評価を決定付けさせたのが、本作。三池作品と言えば、手堅い作品も多いことは多いが、どちらかと言えば止まることの知らない暴走ぶりが印象に強い。『DEAD OR ALIVE』シリーズや『漂流街』『殺し屋1』のように、映画の構造自体を破壊する加速し続ける暴走と、途端に組み込まれる脱力感が魅力的。演出上の緩急が、脱力と暴走で成り立っている。かと思えば、本作のように手堅い演出を見せたりもする(“手堅さ”と“暴走”を共存させた『牛頭』という名作も)。共通するのは、痛点を刺激するかのような凄まじい暴力描写だろうか。
『ミザリー』に代表される“アレな女に酷い目に遭わされる”という筋書きを持つ本作であるが、作品中のほとんどの時間、麻美はその秘められた顔を現さない。しかし、ボロボロのアパートの一室で無言で電話を待ち続けるシーンなど、僅かに挿入されるシーンやイメージがひたすらに不安感と本能的な恐怖感を刺激する。「電話待ってます!!」と言う女性には近づいてはならない。
全ての愛を求める麻美の素顔が現れ始め、壮絶な暴力描写によるクライマックスを迎えることになるのだが、麻美の行為には悪意も殺意もあまり見られない。怒りは多少見受けられるが、彼女を突き動かしているのは“諦め”と知ってもらいたいがための“調教”だ。映画の悪役に明確な殺意がある場合は、観客も素直に“悪”と認識し、娯楽性の高い恐怖とカタルシスを味わうことが出来るのだが、殺意も悪意もない相手が襲い来ると、生存本能的とも生理的ともいえる恐怖を感じることになる。理屈の通じないキ○ガイや、タイプこそ違うが本能でのみ動く『エイリアン』に感じた恐怖のようなものを。
家族思いでもある主人公の青山に、これといった非は見受けられない。肝心な決断を、全て他人の言葉によって促される以外は。この心に空洞を持つ青山に対して麻美が行った行為は、まさに“調教”である。麻美が過去に経験した苦痛と屈辱。そして、それで自分の心の形を知りえたということを、同じ経験を青山に味あわせることによって教えようとしている。“痛み”によってのみ生きている実感を味わうことの出来る『殺し屋1』の垣原のようなものだ。ただし、その究極的なSM行為が自身に向かっていた垣原と違い、求めてもいない他者へと向けるのが麻美なのだが。甚だ迷惑な話だ。
登場と同時になんとも不安な気持ちにさせてくれる麻美を演じる椎名英姫。キャスティングの見事さもあるのだろうし、彼女には何の非もないのだが、街で見かけたら失礼承知で逃げ出します。怖いですもん。もの凄く気を悪くなされるでしょうから、前もってこの場で謝っておきます。
逃げるけど、ごめんなさい。
「キリキリキリキリキリー」は当分の間禁句
↓↓ぽちりとお願いいたします↓↓
人気blogランキングへ
思い出しただけでも、イタイ、、、
キリキリキリキリキリーって・・・。
キリキリキリキリキリーって・・・・・・。
あー!!!
また鳥肌が!!!
なにかの雑誌でイライジャ・ウッドが
「オーディション」を見てファンになり三池作品に出てみたいっ
という記事を読んで、見たんですけど・・・ボクもファンになりましたw
なるほどー。
どうりで『シン・シティ』でのイライジャが、『オーディション』な仕打ちを受けるわけですね^^