1988年 アメリカ映画 107分 西部劇 採点★★★★
80年代って、若手人気俳優が束になって作る映画ってのが流行ってましたねぇ。単品じゃ大物スターに敵わないってのが実情なんでしょうが、正攻法じゃ大人に敵わない若者らしい反抗方法とも言えますし、束になることで話題を生み出せる若手が豊富だったとも。最近の若手だと、顔を合わせる事で話題を生み出せそうなのって、誰あたりになるんでしょうねぇ?
【ストーリー】
英国人移民タンストールに拾われたビリーは、彼の牧場で警備隊として働くことに。しかし、タンストールの商売敵であるマーフィの企みで、タンストールは殺されてしまう。怒りに燃えるビリーら青年たちは臨時保安官となるが、ビリーは逮捕をせずに次々と犯人を殺してしまう。これによりお尋ね者となってしまった彼らは、賞金稼ぎや保安官らからの逃避行を強いられるのだが…。
ビリー・ザ・キッドに関しては各々で調べてもらうこととして、そのビリー・ザ・キッドの物語の中でもクライマックスに当たる“リンカーン郡戦争”を描いた青春西部劇。
若手が集まった変わり種的西部劇とも思われがちだが、ストーリーラインや当時の風俗など、思いのほかしっかりとした西部劇の土台の上に成り立っている本作。人気の若手を集めた話題先行型のように見えて、その役者の持ち味を存分に活かしたキャスティングが施されているのも見所。
大人の加護のもとにあった若者らが、その加護から離され、大人に立ち向かっていこうとする様を描く本作。大人vs子供の構図で描いているが、本作の大人たちは全てに於いて子供らよりも圧倒的に有利だ。数でも政治力でも銃の腕前でも有利。そんな圧倒的に不利な状況下、ビリーは嬉々として反抗し続ける。ビリーはまるで、反抗期に誰しもが心の中に持っていたもう一人の自分のような存在だ。感覚的・感情的に動いてしまうが、その動機や言ってる事は正論という、反抗期ならではの性質。実際、劇中でのビリーの言動は間違っていない。映画的には、充分過ぎるほど“正義”である。ただ、全くもって説得力がない。仲間を泥沼へ引き込む事しかしていないし、人を殺したいが故にその理由を探しているようにも見える。ただそれは、本作を勧善懲悪の物語として観てしまった場合の違和感であり、そもそもそんなものは描いてなかったりも。正義については描かれているが、“正義を問う”と言うよりは、その理不尽さに不満を爆発させる若者の姿の方に重きを置いている。本作からどんな印象を受けるかは、年代や立ってしまう立場によって様々になるのかと。なんと言うか、大人と子供を分けるリトマス試験紙のような感じも。『ウィズダム/夢のかけら』を撮り上げたエミリオらしい題材選びの光る一本で。
ビリーに扮するのは、やんちゃな悪童そのもののイメージがある『飛べないアヒル』のエミリオ・エステヴェス。エミリオのこのイメージがあるからこそ、イマイチ信頼の置けないビリー役がドハマりしたのでは。もうなんか、小鬼みたいな憎々しい可愛らしさというか。
そんなエミリオを筆頭に、イメージに沿った役割分担がシッカリと施されたキャスティングが魅力の本作。エミリオと並ぶと全く似てないが、二人とも父親にはソックリという不思議兄弟の片っぽである、『若き勇者たち』のチャーリー・シーンはどんなセリフも力いっぱい喋る熱血係を担当し、『フラットライナーズ』のキーファー・サザーランドは、もちろんお色気担当で、乙女のような見せ場をしっかりと守る。この頃のキーファーが持つ色気というか艶には目を見張るなぁと思いつつ、最近の彼にそれが感じられないのはちょっと寂しくも。パパ・サザーランドは幾つになっても独特の色気を発してるのにと。また、そのお色気担当をキーファーに持ってかれてるせいか、野性味担当として一歩下がった印象があるのが、『ビッグ・ヒット』のルー・ダイアモンド・フィリップス。確かに錚々たる顔ぶれではあるが、この“一歩下がって”しまった結果が、最近のプライムウェーブ御用達俳優になってしまった要因なのかなぁと。前へ前へと出てくると素晴らしい存在感を発揮する役者だけに、もったいないなぁ。
若手の周囲を固めるベテラン勢も魅力で、『エイリアン・ネイション』のテレンス・スタンプや、『デッドフォール』のジャック・パランス、“我らがワッツ”と言っても今何人くらいが覚えているのか不安な『W/ダブル』のテルー・オクィン、『グレートスタントマン』のブライアン・キースに、ジョン・ウェインの倅パトリック・ウェインと、若手が束になっても正攻法じゃなかなか太刀打ちできない凄い顔ぶれ。
あ、そう言えばクライマックスの銃撃戦のシーンに、付けヒゲ姿のトム・クルーズが一瞬出てましたよ。瞬く間に撃ち殺されてましたけど。
そろそろ、この頃のメンバー集結の同窓会映画観たいなぁ
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