2005年 アメリカ映画 114分 SF 採点★★★★
この間の大地震が揺れ始めた瞬間、部屋にいた私が最初に感じた感情は好奇心にも似た興奮。「おぉ!スゲェなぁ!でけぇなぁ!」とワクワクすら。ところが、揺れが収まるどころかますます強まり、部屋中の物が崩れ落ち、家からも庭からもこれまでに聞いたこともない轟音が響き渡って初めて本能的な恐怖を感じ、ようやく家から逃げ出したもので。何か巨大な力が立ちはだかった時って、咄嗟には動けないものですねぇ。
【ストーリー】
突如黒雲が空を覆い、激しい稲光が地上を何度も打ちつける。やがて地中から巨大な何かが現れ、街中を破壊し逃げ惑う人々を殺し始める。世界中がパニックに陥る中、労働者のレイは別れた妻との間の子供たちと共にニュージャージーを脱出し、元妻がいるボストンへと向かうのだが…。
1953年にも映画化された、オーソン・ウェルズによるラジオ放送が全米をパニックに陥らせた事でも知られるH・G・ウェルズの同名原作を、『マイノリティ・リポート』のスティーヴン・スピルバーグが、アレコレあって一時的に頓挫していた『ミュンヘン』の合間を縫って再映画化したSF作品。
捻くれた観方をすれば、確かにツッコミどころが豊富な本作。長い年月に渡り侵略の時を待っていた外敵が、致命的なダメージを与える微生物の存在を見逃しているマヌケさや、状況解説に終始する主人公らのセリフ、何ら成長や変化もしない人間ドラマ、お荷物でしかない子供たちなどなど、おかしな点はたくさんある。ただそれらは、宇宙人の侵略に立ち向かう人間の姿や、災難を通して結束が強まっていく様を描くよくある物語だった場合のおかしな点でしかない。そもそも本作は、そんなものを描いた作品ではない。核兵器と戦争の恐怖と破壊を象徴した『ゴジラ』が、その強大な力を前になすすべもない人間の姿を描いたように、本作もまた強大な力を前に何も出来ない人間の姿を緻密に描いている。その容赦のない破壊と死は、まるで自然災害を描いているかのようでもある。宇宙人による侵略の物語ではあるが、劇中“宇宙人”“火星人”というセリフは一度も使われていないところにも、そんな事を感じざるを得ない。
災害は人の都合なんてお構いなしにやって来る。「よりによってこんな時に」であろうとなかろうと。明日のTV番組予告に胸を躍らせるも、突然その明日は奪われる。そんな災害の容赦なさを、強烈な描写で描き切る本作。神の加護の象徴である教会は真っ二つに崩れ落ち、夥しい数の死体が川を流れ、炎に包まれた列車が逃げ疲れ表情が消え失せた被災者の前を通過する、スピルバーグ独特のユーモアセンスが見え隠れする凄まじい死のイメージが重苦しくのしかかる本作。直接的な血や肉片の描写はほとんどないが、粉砕された人粉にまみれた主人公や、血管の如く地を這う異様な植物に与えられる人間の養分など、間接的ながらもより不快で残酷な死が描かれている。逃げる事しか出来ない人々が恐怖と疲労に覆われ秩序が崩れ始める様や、電灯の明かりと音楽に束の間の安心感を感じてしまう様など、劇的なドラマこそ生まれないが人間描写も見事。自然災害の如く猛威を振るう災厄に立ち向かえるのは、自然しかないという締めも至極真っ当で、傑作と言っても何ら差し支えのない作品に仕上がっている。ただまぁ、映画そのものに罪はないとはいえ、この時期この土地で観るのは正直辛い作品でも。
男子がそのまま大きくなったような、彼氏としては合格でも夫としては不合格の主人公に扮するのは、『マイノリティ・リポート』に続いてスピルバーグ作品に出演した『ナイト&デイ』のトム・クルーズ。常に“ハンサム○○”で表現できる役柄が多いトムちんだが、それに当てはめれば今回は“ハンサム傍観者”。誰も気づかない事をただ一人気付いて説明する、なんとも解説者のような役回りなので、別にトムちんじゃなくてもいいような気もしないでもないが、トライポッド内で窮地に陥るトムちんを皆が寄ってたかって助ける様に、「きっとハンサムオーラがそうさせたんだろうなぁ」と納得のハンサムキャスティング。ただまぁ、『ア・フュー・グッドメン』でも野球下手を露呈したにも関わらず懲りずに野球に挑戦し、あられもないオネェ投げを披露しちゃうあたりは、なんともハンサムじゃなかったですが。
その他、足手まといに徹する娘役には、『E.T.』でのドリュー・バリモアっぽい髪型で登場する『マイ・ボディガード』のダコタ・ファニングや、「最後まで見届けさせてくれぇ!」と鬱陶しく暑苦しい中坊臭い主張をしたくせに、一足先に家に帰ってのうのうとしていた息子役に、『臨死』のジャスティン・チャットウィン、ハリウッド有数の長身俳優ながらも、トムちんとのツーショットに然程身長差を感じさせないシネマジックを施された『CODE46』のティム・ロビンス、『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』ばりのお出迎えを披露する『ジャック・ブル』のミランダ・オットーに、53年度版『宇宙戦争』では主役を演じていた『刑事コロンボ/殺人処方箋』のジーン・バリーなどがキャスティング。
しかしながら、ここでイチオシしておきたいのは、やっぱりやたらと3にこだわる宇宙人の方々。自分の姿を模した巨大マシーンを作る様に、人間が乗りこむ二足歩行ロボット作りにこだわる日本人のオタク気質に似たものを感じ、なんとも親近感すら浮かぶ彼らだが、自分らの命を奪うことになる細菌類のことをすっかりと忘れ地球にやって来てしまうマヌケぶりばかりが話題に。それじゃぁ可哀想なので、自分なりにアレコレ考えてみようかと。
きっと彼らは、自分たちが住めそうな環境を持つ色んな星にトライポッドを埋め込んでいたのではと。もう、手当たり次第に。で、大気とかが「もう大体オッケーだよー」ってなったら、さっさと来訪、脇目もふらず侵略開始のあわてんぼうさん。そんな後先を考えないあわてんぼうぶりや、中に人が居ないか慎重に調査する臆病さを見せる反面、安全と判断するやノーガードでずかずか家に入って来て、アレコレいじり倒した上に見知らぬ食べ物を平気で口にする旺盛な好奇心も見せる。初めて見た外国の食べ物すら最初は躊躇するのに、こいつらは平気で食う。何かに似てるなぁと考えたら、猫だ。身の安全よりも好奇心が先に立ってしまう猫だ。多分やつらの祖先は猫なんだということで、そのマヌケぶりも納得。一件落着。
安全は意外と高価で得難いもの
↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
よくよく見れば、ウチのマロさんにも似てなくもないので、きっと祖先は猫!
それはさて置き、然程気にせずこの作品を観てみたら、以前観た時と全く違う印象を受けてしまいましたねぇ。“災害”というものを、ものの見事に捉えた作品だったと。