2009年 イスラエル/フランス/レバノン/ドイツ映画 90分 戦争 採点★★★
戦争がなんで恐ろしいのかってのを端的に言えば、人が死ぬから。殺さなきゃならないから。今ここでサブタレ書いてる私でさえ、戦争になれば軍服を着させられ銃を持たされ戦地へポイ。外見どころか中身も何にも変わってない、いつもの私なのに、敵に向かって銃を構えて撃たなきゃならない。全然知らない人なのに。じゃないと、こっちが殺される。全然知らない人から。理由も理屈も通用しない状況下で、いつもの自分が人を殺さなきゃならない。それが怖い。

【ストーリー】
レバノン領内へと侵攻する、イスラエル軍の一台の戦車。中には4人の兵士。初の実戦の為、引き金を引けない砲撃手や、状況を把握できない指揮官など、戦闘に不慣れな彼らをしり目に状況は悪化の一途をたどり続ける。極限状態の中、肉体的にも精神的にも限界に近付いていく彼らは…。

背景が分かりづらいので、物凄くかい摘んで整理してみようかと。自分用にも。
元々中東では珍しくキリスト教徒が中心の国家だったレバノンを、第一次世界大戦後実質的な宗主国となったフランスが「ここまでがレバノンでござい!」とでかめに国境線を作成。結果、キリスト教、イスラム教共に複数の宗派が混在する国家に。50年代以降、周辺諸国の情勢不安や内乱などもあり、いつ爆発してもおかしくない状態となる。
で、1975年。ベイルートのキリスト教会で集会を行っていたキリスト教マロン派のファランヘ党に向け、イスラム教徒への軍事支援を行うPLO支持者らが発砲。これをきっかけに、内乱が本格化。警察はこの事態に対しさっぱり役に立たず、国軍も機能を喪失。当初は静観の構えを見せていたシリアだったが、PLOらが推し進める革命がイスラエルを刺激し、イスラエルによるシリア・レバノン攻撃を誘発しかねないと恐れ、レバノン政府の要請もあって侵攻。一時的に内戦は沈静化する。しかし、和平に失敗。シリア・マロン派・PLOは対立を激化させ、マロン派が“反シリア・パレスチナ”を旗印に結成したレバノン軍団とシリア軍との衝突を散発する。
そんな中、劣勢を強いられていたレバノン軍団はイスラエルの支援と介入を画策。シリアとイスラエルが結んでいた“レッドライン協定”をシリア側が破るよう誘導し、協定違反を名目にイスラエルが軍事介入。レバノン軍団の支援という形で、シリア対イスラエルの戦いが繰り広げられることに。
えらくザックリとした状況整理ですので、詳しくは各々で。

で、そんなイスラエル軍が介入を始めた1982年を舞台に、監督自身の体験を基に描かれた本作。“戦車の中から見つめる戦争”という着眼点が新鮮。その限定された視点が、状況を把握できない混乱を観客が共有できる結果に。密閉された緊迫状態下というと『Uボート』を思い出してしまうが、あそこまでドラマチックな展開をするわけではない。国家の為でも信念の為でもなく、ただ戦場に駆り出されてしまった一般人が殺すか殺されるかの状況下において、恐怖し困惑し混乱する様をストレートに描き出している。声高らかに戦争の無常さを訴えているというよりも、引き金を引けないが故に同胞が死に、引いたら引いたで民間人を殺してしまう、そんな戦争のさっぱりスマートじゃない無様さをさらけ出しているようなナチュラルさが、逆に功を奏している。死が劇的なものではなく、そこらにゴロゴロと転がっている状況描写も上手い。
ただ、命を預けるのは遠慮したいグズグズな4人組を中心に、グダグダな指令系統と作戦という無様さを描くことでリアルさや観客と同様の視点を保ちたい意図は分かるのだが、その為にはもう少し過度な演出をしても良かったのかなぁと思う一面も。鉄に囲まれた密室であることが活かされていたとは然程思えず、温度や湿度、臭いなどの描写も控えめなため、緊迫感や圧迫感も控えめな感じを。この、微妙な肩透かし感も狙いであったのなら、まぁ成功したと言えるんですが。

ここのひまわり畑も、死体がゴロゴロ埋まってるんですかねぇ
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