2000年 日本映画 118分 ホラー 採点★★★★★
人間は孤独である。友達・親友・恋人、どんなに願おうとその絆は儚くおぼろげで、その事実を怖れ目を背けるかのごとく如何なる媒体を介してでも誰かと繋がっていようとする。死は永遠に続く孤独。死は永遠に続く孤独である故に、人々は恐怖する。その恐怖を緩和させる為に存在する信仰ですら、完全にその恐怖を払拭する事は出来ない。
【ストーリー】
ある日、OLのミチの同僚が目の前で自殺。それを機に、周囲の人間が次々と消えていってしまう。一方、大学生の川島はインターネットで奇妙なサイトに繋がってしまい、大学でインターネットの研究をしている春江に相談するが、怪奇現象は収まらず…。
武田真治演じる吉崎によって語られる「あの世がいっぱいになって、亡者がこの世に現れる」といった旨のセリフからも分かるように、本作は『ゾンビ』のリテルである。虚ろに消費を続ける人間の姿に生ける屍の姿を重ねた『ゾンビ』。本作でも、人間と亡霊の境は曖昧である。孤独なもの同士にとって、他者は亡霊と変わらない。一方的な思い込みによって成立する繋がりの上では、相手が実存しているかどうかなど最重要項目ではなくなってしまうのだ。回線の向こうに誰かがいて、自分は一人きりじゃないと信じ込む事が重要なのだから。
黒沢清は登場人物の孤独感、他者との繋がりの希薄さを強調する為に、主人公を除いて親子関係を描いていない。電話での意味のある会話のシーンも皆無だ。けたたましいサイレント爆音とではなく、「どうしたんだろ?」という小さな疑問を抱かせながら静かに滅亡の時が近づいている様を見事に描いている。次々と人間が消え去っていくという異常事態の中、人々は普通に出勤し、店のシャッターを開け、出勤するはずだった同僚や上司の不在を「どうしたんだろ?」という小さな疑問だけで済ませてしまう。そこがたまらなく怖い。
黒沢清の脚本では、登場人物のリアクションが非常に自然である。“自然な演技をしています”“口語体のセリフを読んでます”的映画が多い中、非常に日常的な言葉を取り入れることによって、日常に非日常が入り込む異常さをより浮き彫りとする。加藤晴彦演じる川島が、ひたすら日常にしがみつき空虚な言葉を振り回して必死に現実から目を背けた結果、怪異に飲み込まれてしまう。一方、麻生久美子演じるミチは現実に正面から向かい合う。その対比も、非常に日常的な言葉を用いた脚本によって導かれた自然な演技によって、より明確に描かれているのだ。この絶望的な作品だが、わずかながら希望を残して終わる。冒頭とラストに登場する役所広司の、様々な絶望と困難を経験しながらも希望を捨てない姿にわずかながらに救いを感じるのだ。燃料の少ないヘリで飛び立つ『ゾンビ』のラスト同様に。
“ネットから幽霊が出てくる恐怖”と勘違いされがちな作品だが、本作の恐怖は人との繋がりの希薄さにある。“人間は孤独だ”ということに気付くことによって、繋がっていたと思っていた人間が消えていくという表現で直接的に描いただけなのだ。ハリウッドによるリメイクも完成されたが、公式サイトで予告編を見る限り、見事に恐怖の位置づけを勘違いしちゃっているようですが。主食が肉の人たちらしい、非常にストレートな作品のようで。
私がこの作品に異常に入れ込むのも、私が体験したある出来事によるものも大きいのかも。それについては、しばらくご無沙汰だったあのシリーズで近日書きますね。もう一つの理由は、もちろん麻生久美子。本作での彼女がもろタイプなもので。
彼女とならどんな世界でも
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成る程、『ゾンビ』のリテルってので腑に落ちた感はあります。で、脱出するピーターが黒人であったように… まぁロメロのゾンビって殆ど主人公がマイノリティか被差別者ですが… のと比べると、実に日本的な映画ですなぁっと思いましたよ。
ただ家族関係の希薄さってのは黒沢映画の基本だと思うんですが… たおサン的にはどないでしょ?
まったくもってその通りだと思います。
あの世で寂しい霊の皆さんが「寂しさ」紛らわすために新規勧誘に精を出すのは勝手ですが、所詮あの世も孤独なんです、点は点のまま線にはなりえない。振り返って、実はこの世の人々も、来る時逝く時は言うに及ばず常に孤独であると。このことを受け入れるのは非常に危険。うっかり多くの人々が気づいてしまっては、行き着く先は社会の崩壊なのです。
あまりストレートに言っちゃならないのではないかと(”あっ言っちゃった”って思いました(笑)。
“孤独である”ことが恐怖というより、“孤独である事に気付く”ことが恐怖なんでしょうね。やたら携帯の登録件数増やしたり、「ソウルメイト」がどーたらこーたらというのもその反動なんでしょうね。
あえて麻生久美子の家族関係を多少浮き気味に強調したと思うんですよ。どうにも私の文章が拙いもので^^;
コメント&TBありがとうございます!!
書かなきゃなぁと思ったので^^;
ある種、非常に危険なメッセージを含んだ作品だと思うのですが、その現実をも受け止めて生きて行くラストにやはり考えさせられます。
TBありがとうございます。
黒沢清監督の映画を観ると、
いつもあの世とこの世の境目が
曖昧にぼやけてきます。
色々と考えさせられる映画でしたね。
これからもどうぞよろしく!
TBまとめてお返しさせて頂きました。
黒沢監督は個人的に非常に好きな監督です。この作品も現代社会の陥穽を感じさせる怖さがありましたね。
また宜しくどうぞw
邦画ブラボー様
本作ではネット上での存在でしたが、それが電話の向こうでもTVの向こうでもなんであれ他者の存在がおぼろげなんですよね。
lin様
加藤晴彦が典型例でしたが、必死に形だけの繋がりを求めて、自分が受け入れられないものは認めないという現代人の姿が浮き彫りにされてましたね。
これからもよろしくお願いします♪
死後の世界が永遠の孤独なら、私にとっては天国です。私の思い描く死後の世界は「私だけがいない世界」なので、「私だけがいる世界」の方がはるかにまし。
幽霊になって溢れ出すほどあっちがいっぱいなのに、何で人がいなくなっちゃうの? みんな幽霊になってそこらじゅうを漂っているのならわかるけど。──ゾンビの二番煎じじゃしょうがないか。
単体として人間は孤独であるからこそ、どんな形でも繋がっていたいと願う人も多いのも事実。無人島にでも住んでいない限り、関わりたくなくても向こうから関わってくることも多いですしねぇ^^;
なんか難しいこと書こうと思ったけど・・・あぁ、わかんねぇや^^;