2000年 アメリカ/ドイツ映画 119分 SF 採点★★★★
透明になれたり壁をすり抜けられたりと、超人的な力をもし手に入れられたら何をするだろうと考えると、概ね邪まな考えしか浮かばないたおです。主成分が煩悩で出来てます。まぁ、男なんてそんなもんなんだからしょうがないんですが、もし真顔で「世界平和!」とか言う人に出会ったら、間違いなく避けます。私の人生に一歩たりとも近づけさせないほどに避けます。人間性そのものを疑います。それが本心だったりしたら、尚更避けます。だってなんか、危険人物の香りがするんですもん。
【ストーリー】
生物の透明化と復元に成功した天才科学者のセバスチャンは、自らを実験台に人体の透明化に挑む。しかし、透明化には成功するものの、復元に失敗。元に戻れぬ不安はやがて憎悪となり、研究仲間を襲い始める。
『ロボコップ』のポール・ヴァーホーヴェンによる、透明人間を描いたSFホラー。ディレクターズカット版での観賞だが、通常版を初めて劇場で観た時と然程印象も評価も変わらず。
“狂った透明人間が暴れる”。それ以上でも以下でもない本作。もうちょっと長く説明するなら、“狂った透明人間が、子供を脅かしたり覗きをしたり痴漢をしたりした揚句、暴れる”。そんな本作に対し、「中身が空っぽだぁ!」「なんで透明になると強くなるの?」なんて意見をぶつけるのは、無粋の極み。ひ弱な透明人間がコソコソと後ろから人を殴るだけのような映画なんて、そもそも観たくないですし。「天才科学者が透明になったというのに、やることは覗きと痴漢って幼稚過ぎない?」って意見もあるようですが、天才だろうが男子です!
それはさて置き、SFXの見本市のような中身のない物語であるにもかかわらず、さすがヴァーホーヴェン。その空虚さはそのまま薄っぺらい善人に当てはめ、エロと暴力に走る透明人間を徹底的に魅力的に描く。一般的に想像する“魅力的”とは、若干ずれてはいますが。言い分も行動もイライラさせる以外機能しない善人達をしり目に、好き放題やる透明人間のなんと魅力的なこと。無論やっていることは犯罪でしかないのだが、もっとドデカイ事が出来そうなところを男子中学生が思い付きそうな悪事のみを嬉々として行い、「俺は自由だー!」と小さい野望で満足する透明人間は憎めない。綺麗事を言う人は平気で人を裏切るが、エロと暴力は裏切らない。エロと暴力は正直だ。何を書いてるんだろうと自分でも思うが、ヴァーホーヴェンの作品を観ると、いつもこう思うんですよねぇ。
本能に素直な透明人間に扮するのは、『トレマーズ』のケヴィン・ベーコン。「全裸なら任せろ!」のケヴィン・ベーコンだけあって、透明前からあっちでブラーン、こっちでブラーンの大活躍。透明化後は、ほぼずーっと全裸。まぁ見えてはいませんが、透明は究極の全裸でもあるんで、本人としてはご満悦だった事でしょう。裸の話ばかりでもアレなので、天才ならではの傲慢さや繊細さも上手に出していましたよと、演技にも触れてみましたっぽい締め方を。
一方、監督自身の興味のなさが如実に表れたような薄っぺらさ故に、役柄としてはさっぱり印象に残らない善人達であるが、『セイント』のエリザベス・シューや『プラネット・テラー in グラインドハウス』のジョシュ・ブローリン、『マーキュリー・ライジング』のキム・ディケンズに『アンダーワールド:ビギンズ』のローナ・ミトラと、役柄の薄っぺらさとは裏腹に厚みのあるキャスティング。
ただまぁ、誰もかれもがイライラさせる役回りで、その筆頭がエリザベス・シュー。天才のおこぼれにすがるだけのジョシュ・ブローリンの役柄も相当なものではあるが、彼女の役柄には到底敵わない。「元彼のことは誰よりも理解してるわ」みたいな顔をしておきながら、その振る舞いは無神経そのもの。元彼の気持ちを知っておきながら、ホンノリと期待してしまう言動を取り、相手がその気になると途端に拒絶。仕舞いには、狭い地下研究所で元彼も一緒に仕事をする同僚と付き合われてしまったんじゃ、透明人間じゃなくても怒り爆発するもんです。ベッドで新しい恋人に「身体の相性が良いんだもん」なんて言ってるシーンを観ちゃったりすると、もう透明人間が不憫で不憫で。頑張れ、透明!役柄だけならまだしも、他の女優が惜しげもなく脱いでる中、一人頑なに乳首も出さない姿勢にも大いにイライラを。これまた一体何を書いてるんだと自分でも思いますが、それもきっとヴァーホーヴェンのせい。絶対そうだ!
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