2011年01月06日

マウス・オブ・マッドネス (John Carpenter's In the Mouth of Madness)

監督 ジョン・カーペンター 主演 サム・ニール
1995年 アメリカ映画 96分 ホラー 採点★★★★★

文字や映像の持つ力ってのは、とてつもないものですよねぇ。それを信じてしまう人間の数が多ければ多いほど、たとえ丸っきりの嘘であっても真実になってしまいますから。何も宗教がどうのこうのって難しい話じゃなく、日常的に様々な情報を発信するテレビが既にそうですし。発信源の不明なブームや、冠先行で国民的人気者に上り詰めた集団なり、民衆を自在に操る仕掛け人の方は神さまにでもなった気分なんでしょうねぇ。まぁ、それくらいの気分でいてくれた方が、何の感情も持たずただ仕事の一環でやられてしまうよりはマシな気もしますが。

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【ストーリー】
行方不明となった人気ホラー作家サター・ケインの捜索を行うこととなった、保険調査員のトレント。彼の著作の中に手掛かりがある事を知ったトレントは、やがて著作の中にしか存在しえない筈の町“ホブズ・エンド”に辿り着く。ようやくサター・ケインと探し当てたトレントは、彼自身の恐るべき役割と人類の運命を知ってしまい…。

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ゼイリブ』のジョン・カーペンターによる、ラブクラフトやスティーヴン・キングをモチーフに世界の崩壊を描く傑作ホラー。
フィクションが現実を浸食していく様を、悪夢めいた幻想的なタッチで描く本作。物語自体は、ストレートにクトゥルフ神話の太古の神々が蘇る様を描いているのだが、劇中の人々を狂信させてしまうほどの力を持つサター・ケインの文章と同様の力強さを、この作品から感じられる。劇中内の現実とフィクションを混ぜ込んだ構成の巧みさから、入れ子構造やメタホラーの一つとして簡単に捉えられがちな本作ではあるが、作品がこちら側ににじり寄ってくるかのような感覚すら覚える本作を、その一言で済ませてしまうのもしっくりこない。だからと言って、なんと言ったらいいのかもわかりませんが
劇中、古いポスターの下からまだ出版されていない筈の新作のポスターが出てくる、現実が既に物語として組み込まれていたのが分かるシーンからも感じられるような、ホラー小説を集中して読んでいる時にふと我に返った瞬間の、まだ現実と物語の滲んだ中間線に立っているかのような感覚が、観賞中ずっと付きまとう本作。カーペンター作品でお馴染のちょっと抜けた可愛らしさなど一切感じない狂気めいた本気の演出は、カーペンターが撮ったというよりも、サター・ケインその人が撮ったかのようにも思えるほど。説明過多に陥るのを避け、無数の触手を持つ太古の神々の姿や物語そのものも、必要最小限の描写に抑えたのも功を奏している。
意外な所から意外な形で始まる世界の崩壊を度々描いてきたカーペンターだが、それらの作品の中でも、本作は群を抜いた完成度と怖さを持つ作品に仕上がっている。

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主演は『イベント・ホライゾン』のサム・ニール。奥さんはワタナベノリコさん。彼独特のニヒリスティックな雰囲気が、まさに本作のトレントそのものと合致。あまりに合致し過ぎるので、本作の劇中劇でサム・ニールがトレントに扮しているのか、サム・ニールがトレントなのか分からなくなってきてしまうほど。
ヒロイン役のジュリー・カーメンには然程魅力は感じられず、若干あっちとこっちを向いた目以外は印象に残らないのだが、チャリにニケツでタコ踊りする様は強烈。怖すぎです。あんなのと夜道で出会ったら、もう心おきなくチビります。一方、本作以降、何で観てもサター・ケインにしか観えなくなってしまった『ダ・ヴィンチ・コード』のユルゲン・プロフノウや、ゲスト的な登場ながらも現実社会の象徴としての存在感を出した『警察署長』のチャールトン・ヘストンや、『戦争のはらわた』のデヴィッド・ワーナーなんかも印象深い。
ちなみに、ラスト近くにちょろりと登場する新聞配達の少年は、幼いころのヘイデン・クリステンセン。まだダークサイドに堕ちてないころなので、可愛かったですよ。

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気付いてないフリをしていたい

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posted by たお at 02:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 前にも観たアレ■ま行■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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