自ら癌であることを公表し、音楽仲間らがミックとその家族を救うために募金活動を行っていたのは知っていましたが、あんまり心配し過ぎると本当に最悪の結末を迎えてしまうような気がして敢えて触れていなかったのですが、今月4日にミック・カーンが自宅で家族らに看取られながら息を引き取りました。
思えば高校の頃、スティングやジョン・テイラー、シド・ヴィシャスなどに憧れてベースを始めた私に友人が「じゃぁ、このベースを聴いてみろや」と勧めてくれたのが、ミックとバウハウス解散直後のピーター・マーフィーが組んだユニット“ダリズ・カー”のアルバム。それがミックとの初対面でした。文字にしちゃうと「ボゥベベンベェンベェボェボェ♪」と滑稽なものになってしまいますが、それまで聴いたこともなかったベースサウンドに、脳髄を強烈に打ちのめされたような衝撃を覚えたものです。すぐさまジャパンや既に出ていたソロ作、ミッジ・ユーロらとの共演作などを買い漁り、仕舞いにはミックと同様にフレットレスベースを買って日長一日練習したものです。無論、あの独特を通り越して唯一無二のサウンドなんか真似できるわけもなく、また当時ピストルズのコピーをしていたバンド仲間から「頼むから普通にベースを弾いてくれ!」と懇願されたこともあり、そのフレットレスベースは部屋の片隅に追いやられることになってしまいましたが。
フレットレスを弾くことはなくなってしまいましたが、コンスタンスに出し続けたアルバムは、店頭に並ばなくなった最近の物であってもなんとかして手に入れ、一つの音楽スタイルに固執することなく進化し続けるミックの音楽を堪能したものです。
その独特なベーススタイルが評価され、様々なミュージシャンのアルバムやライブに招かれたミック。でも、どのアルバムでもミックはミックのままでした。誰が歌ってようが、どんな曲であろうが、ミックがベースを弾くとその曲はミックの曲になってました。そのサウンドが予想以上に評価され引っ張りだことなったミックの「こんな風にしか弾けないだけなのに…」と、困惑しきった言葉が今でも心に残ってます。
学生時代にオーケストラで演奏していたバスーンを盗まれ、やむなくベースを独学で始めたミック。神さまはちょっと変わった方法で天職を与えたようです。今頃きっと神さまの前で、その与えられたギフトを披露している事でしょう。大好きな猫をそばに置いて。
ミック・カーンの御冥福を心から、本当に心からお祈りいたします。
大好きなアルバム『Dreams of Reason Produce Monsters』を聴きながら
【追記】
追悼の記事には、これまで関連の商品広告を載せない方針でやっておりましたが、今回に限りましては思うこともあり、敢えて載せさせて頂きます。