1993年 アメリカ映画 90分 コメディ 採点★★★★
下校中の小学生なんかを見ていると、とにかく男子は“真っ直ぐ帰る”以外の行動に全精力を費やしておりますねぇ。水たまりには石を投げ、穴があったら覗き込み、枝を拾えば振り回す。所構わずしゃがみこんで、虫やらなにやらを見つめている集団もほぼ男子ですし。そんな団子状になった男子をしり目に、きっと同じ時間に学校を出たであろう女子はズンズン先へ進んでってるんですよねぇ。きっと小学生男子の御子さんをお持ちのお母さん方は、毎日「今日もウチのバカ息子は寄り道してんのか!」とご立腹なんでしょうね。でも、男子はジッと出来ないんです。そう出来てるんです。
【ストーリー】
本人には全く悪気はないのだが、そのわんぱくぶりで周囲に大被害を及ぼしてしまうデニス。元々子供があまり好きではないメイソンは、そんなデニスに困らせられっぱなしであった。しかしある日、デニスを預かることとなってしまい…。
昨年、惜しくも亡くなってしまった学園映画の雄ジョン・ヒューズ製作・脚本による、アメリカの人気漫画の実写映画化。元の漫画自体は知らないんですが、コボちゃんみたいな感じ?
当の本人にとっては全く悪気のない行動が結果的に大災害へと発展してしまう、“歩くファイナル・デスティネーション”のような5歳児デニスとの交流及び一方的な振り回されを経て、頑固老人が父性やら人間性やらを取り戻していく様子を描いた一本。
なにかと“他愛ない”が評価に付きまとっている感が強い本作。確かに、可愛い子供が、人が死なない程度の騒動を起こし、ほんのりテーマっぽいのを絡めてまとめ上げ、観終わった後に「子供可愛かったねぇ」しか残らないような作品ではある。しかし、本作が目指しているのは決して“人死にしないギリギリの大騒動”ばかり印象に残る映画でもなければ、「よし!明日から俺も生き方を変えるぞぅ!」ってな映画でもない。“子供はやっぱり可愛い”ってのが最終目標であって、その目標を見事に達成している作品に対し「他愛ねぇなぁ」で切り捨てるってことは、ある意味『スター・ウォーズ』に対して「宇宙、邪魔じゃね?」って言っているようなものなのではと。
で、本作。『ホーム・アローン』の大成功後、ファミリー映画に完全シフトした頃のジョン・ヒューズだけあって、5歳男児がやりそうな一挙手一投足の描き方が上手い。ボタンを見れば押したくてウズウズし、2秒ほど我慢するが結局押しちゃう、そんな単純な流れすら可愛らしく描くのは流石。大人たちの描写も、その人間性を深く掘り下げるのではなく、キャラクターとしての魅力を重視しているのも功を奏している。
デニスを演じるメイソン・ギャンブルの愛くるしさが、作品の愛らしさとほぼイコールとなっている。だが、その魅力はもちろん『サブウェイ・パニック』のウォルター・マッソーや、“バック・トゥ・ザ・フューチャー”シリーズや『殺人ゲームへの招待』のクリストファー・ロイド、『スパイダーウィックの謎』のジョーン・プロウライトら、まるで本当に漫画から飛び出してきたような魅力を発揮してくれた、大人勢の奮闘によるものも大きい。
そして、やっぱりリー・トンプソン。当時、映画好き男子のほとんどが通過したであろう、リー・トンプソン熱。例にもれず患っていた私も、公開当時は「ドクとロレインの顔合わせだぁ!」以上に、「あぁ、あのリー・トンプソンも母親役かぁ…」としみじみしてしまったものですが、今観直してみると、なかなかいいもので。家であんな奥さんが待ってるなら、もう真っ直ぐ帰ってきます。定時で帰ります。いや、仕事行きません。
で、ここで愚痴るのもなんですが、いつもの吹替えについて。本作がソフト化された当時、日本語吹替え版をサザエさん一家がやったので話題に。この吹替え版も、なかなか良い。作品の雰囲気を壊さないどころか、より身近なものにし、そんでもって話題性もある。さすが、プロ。ホント、声の表現者である声優のレベルは世界に誇れるほどのものだなぁと。でも、ここん所しばらく、そんなプロの仕事をないがしろにして、話題作りの為だけにド素人の芸人やらタレントやらが映画の吹替えに起用されてしまう事がしばしば。確かに、たとえド素人仕事であっても、それが凄く話題になって劇場にわんさかお客さんが集まって、「映画って面白ーい!」と映画ファンが増えてくれているのならば、そんなに不満もないんですが、作品は台無しだわ、話題性は「へぇ」程度では本末転倒なのではと。宣伝をする側にとって、“話題性”ってのが作品のクオリティよりも重要視するのは、映画を売るビジネスとして仕方がないんですが、“「へぇ」>>>>>作品クオリティ”で終わってしまっているその手腕はどうなの?
子供が「ゴメンなさい」って言うなり思ってるなりしてれば、大人はフツー許すもの
↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓