1993年 イタリア/アメリカ映画 103分 ホラー 採点★★
がっちがちのB型気質のせいか、ただの面倒くさがりのせいか、自分の考えを他人に説明するのが唖然とするほど下手くそなたおです。頭ん中では完璧にイメージが出来上がってるんですが、それを言葉にして伝えようとすると、その言葉は相手の中で見事に五里霧中。じゃぁ、そのイメージをそのまんま絵にすればいいやと描いてあげれば、伝えたい相手はまるでエッシャーの絵の中に迷い込んだような表情に。
【ストーリー】
首を切断し持ち去るという猟奇殺人事件が発生。やがてその事件は、何か目的があるかのように、連続して発生する。そんな中、両親をこの連続殺人事件で失った少女オーラが、TV局に勤めるデヴィッドに助けを求めてくる。
『インフェルノ』のダリオ・アルジェントによる、スリラー仕立てのホラー。特殊メイクは、最近では俳優として観る機会の方が多くなってしまいなんだか寂しい、『プラネット・テラー in グラインドハウス』のトム・サヴィーニ、主演は監督の実の娘で『トリプルX』『ラストデイズ』のアーシア・アルジェント。
無理矛盾を押し通し、広げきった風呂敷は一切たたまず、今撮りたい絵と使いたいトリックを前面に押し出して映画を撮りきって、観終わったこちらの頭の中にデッカイ“?”を大量に残してくれる、ダリオ・アルジェント映画。そのデッカイ“?”が生み出す不気味さや不条理さが、映画自体はさっぱり理解できなくても、いつまでも「なんかスゲェの観た!」と記憶にこびりつかせる力強さを持っていたりもする。そして、まぁ極稀にではあるが、そこに持ち前の絵画趣味やミステリー趣味が見事に合致すると、とんでもない映画的快感を味わえる事も。
で、本作。相変わらず“?”を大量に放置しながら作品が進んでいくのだが、その“?”が小さい。物語の整合性が取れているわけでは全くないのだが、どうにも勢いがない。生首が子供の名前を連呼しながらゴロゴロ転がったりするショックシーンや、殺人者の目となり手となり舞台中をグルグル動くカメラワーク、手作り感あふれる首切り機に、「あぁ、ストーリーはなんであれ、コレだけは使いたかったんだなぁ」と妙に納得できるギミックと、印象に残る部分はあるのだが、「何でコレを撮ったんだ?」と監督に直接問い詰めたくなるほどの強烈かつ不条理なシーンがないため、どうにも“元気がない”という印象を受けざる得ない。ゴアシーンも、わざわざトム・サヴィーニにやらせるような代物でもないですし。まぁ、エンドクレジットで見知らぬ女の子が、レゲエに合わせて無表情にクネクネと踊り続けるシーンは、ある意味強烈でしたが。
『キャリー』のママ以上に目を座らせギトギトジットリとした迫力を放つパイパー・ローリーを凌駕する、それこそ『フェノミナ』でジェニファー・コネリーを蛆虫プールに叩き込んだほどの変態性が垣間見えないのも残念なのだが、当時まだ20歳にもなっていない愛娘をカメラの前で平気で脱がす所に、「元気はなくても、変態は変態なんだなぁ」と。
この後、ある意味父親の期待通りに成長
↓↓お帰りの際にでもぽちりと↓↓
人気ブログランキングへ
確かに本作、変なトコでまとまってると言うか妙な所で筋や理屈つけてて惜しい気がしましたがアメリカ資本で製作されたアメリカ映画だからかなぁ… と思ったりもして。だってこれの4年後のイタリア映画で同じく娘主演の『スタンダール・シンドローム』と比べたらなんかねぇ?(笑)
アルジェントが一番やっちゃいけない、理屈付けをしちゃってましたしねぇ・・・。
確かに『スタンダール・シンドローム』は、かなりアレでしたねぇw