2015年 アメリカ/ドイツ/インド映画 142分 ドラマ 採点★★★★
私の世代的なものもあるのかも知れませんし、いつ見ても似たり寄ったりの服装にモジャモジャ髭と変わらない風貌のせいかも知れないんですけど、私の中のスピルバーグのイメージって“天才若手映画作家”なんですよねぇ。もうすぐ70歳なのに。時代と共に作風が大きく変化してたりすればそんなイメージも変化していったんでしょうけど、扱う題材こそ変化していってもどの作品も明確に“スピルバーグ印”ってのが刻印されている上に、時代に迎合し過ぎないので、どの作品を観ても著しい経年劣化ってのを感じないんですよねぇ。相変わらず本題とは関係ない書き出しなんですけど、改めてスピルバーグのプロフィールを見てみたら年齢的にはすっかりお爺ちゃんなんだってことに気付かされちゃったので、つい。
【ストーリー】
米ソ冷戦下の1957年。逮捕されたソ連のスパイ、ルドルフ・アベルを弁護することとなったジェームズ・ドノヴァン。敵国のスパイを弁護することで国民の非難を一身に浴びるドノヴァンであったが、その職責を全うしアベルの死刑を回避する。5年後、アメリカの偵察機がソ連上空で撃墜され、パイロットはスパイとしてソ連に拘束されてしまう。政府はパイロット救出のためアベルとの交換を計画。その交渉役としてドノヴァンが選ばれ、彼は東ベルリンへと向かうのだが…。
後にケネディ大統領からの依頼で、ピッグス湾事件の失敗により捕虜となった1万人を超える米国人捕虜の帰還交渉を務めることとなる弁護士ジェームズ・ドノヴァンが注目されるきっかけとなる事件を描いた、実録サスペンスドラマ。マット・シャルマンと、キャラクター描写などの加筆が主な仕事だったと思われる『トゥルー・グリット』のコーエン兄弟による脚本を、父親がほんのちょっとばかしこの一件に絡んだという『ミュンヘン』のスティーヴン・スピルバーグがメガホンを握って映画化。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』なんかでちょっと忙しかったってのと体調不良により、盟友ジョン・ウィリアムズに代わって『007 スペクター』のトーマス・ニューマンがスコアを担当。
赤狩り、朝鮮戦争、ローゼンバーグ事件と、共産主義に対する警戒と不信、恐怖がピークに達していた冷戦下の時代を舞台に、法と国のあり方の原理原則を守り続けようとする男の奮闘と、敵国スパイとの間に生まれる絆を描いた本作。2時間半近くの長尺ながらも無駄なシーンが一切なく、だからと言ってアベルの裁判、アメリカ人パイロット拘束、東ベルリンでの交換交渉と3本の物語で構成されているが慌ただしいわけでも盛り沢山過ぎるわけでもない、映画として必要な描写を的確かつスムーズに描き出す、非常にスピルバーグらしい手際の良さで最後まで引っ張った一本。ベルリンの街を自転車で走る青年をカメラがワンショットで追うシーンで、ある一線を越えたドンピシャのタイミングで“東ベルリン”のテロップが出る、さり気ないながらも巧さが光るシーンや、自称アベルの家族との面会シーンの真顔でのギャグなど、本作にもスピルバーグ印がそこかしこに刻印されていたのも嬉しい。また、今まさに壁が作り上げられているベルリンの街の混乱や悲壮感など、その瞬間の空気を見事に捉えていたのも流石。
主人公が単なる善意で行動を起こしているのではないってのも、非常に興味深かった本作。もしこれが“良い人”の物語であったら、敵スパイとの間に生まれるのは上辺だけの友情で、なんか良い話を聞いたなぁって気にはなれるかも知れないが、後に残るのはそんなボンヤリとした印象のみに。
しかし本作は、しっかりとジェームズ・ドノヴァンの人となりを描いている。法の原理に沿うことならば一般常識では正しいことも撥ね退けるある種の“狡さ”を見せる一方で、法の原理原則を守るためには全国民の非難を一身に浴びても挫けることがない“信念の人”としても描かれている。“法の原理原則に忠実”というどっしりとして動くことのない軸の両面性をきちんと描いていたからこそ、言動の“なぜ?”がはっきりと理由付けられ、法に忠実な主人公と国家に忠実なスパイとの間に絆が生まれるのも至極当然の結果として伝えることが出来たのかと。
国家のあるべき姿や原理原則といったちょいと荷が重い問題じゃなくても、日々何かにつけ「仕方がないよね」とか「ま、いっか」とルールや理想をないがしろにしがちであるし、またその一方で“ブレない”って言葉を安易に使い過ぎてる気もする昨今。本作では“異常事態にある時こそ原理原則を守らなければならない”という信念を貫く過酷さを描きつつ、それが出来るのは決して特別な人間とは限らないってのを明確に描いていた一本で。
また、「共産圏に生まれなくて良かったねぇ」といった相手の欠点を捉えて優越感に浸るようなアメリカ賛美映画なんかでもなく、双方が目指すべき理想を持ちながらもそれを見失ってしまっている様や、その建前に国民が翻弄される様を描いた作品であるのも素晴らしかった本作。車窓から見える光景が、一方では壁を乗り越え射殺される人々の姿で、一方では壁を乗り越え遊ぶ子供たちの姿というコントラストの効いたシーンがあるが、これも「あぁ、やっぱアメリカだよな!」ではなく、あるべき姿を見失った場合の行く末を危惧するものなんだろうなぁと。
主人公のジェームズ・ドノヴァンに扮したのは、久々のスピルバーグ作品主演となった『キャプテン・フィリップス』のトム・ハンクス。“ユーモアを忘れない真面目な良い人”というお馴染みのイメージを守りつつも、その内面に結構怒りっぽくてヒステリックな一面というかつて得意にしていたキャラクター性をホンノリ残す、まさにトム・ハンクスここにありってな感じの熱演。歳を重ねた分トーンを抑えているだけで、なんかのきっかけで『マネー・ピット』の時のトム・ハンクスが飛び出してきそうな感じが素敵。この“らしさ”が非常に良く出てたのは、人物描写を中心に手掛けたコーエン兄弟の手腕なのかと。
一方のルドルフ・アベルに扮したのが、『ブリッツ』のマーク・ライアンス。“ソ連のスパイ”というと剃刀のように冷たく切れ味鋭い殺戮マシンか、シュワルツェネッガーのような岩の塊を思い浮かべてしまうが、何処にでも居そうなとぼけたオッサン風情のスパイをこれまた好演。理想を貫くためにアクティヴなトム・ハンクスとは逆に、国家のおかしな点を冷静に見つめながらも理想のために耐え続けるアベルの姿を、淡々としながらもユーモアを滲みださせながら見事に表現。このコントラストの効き具合と、双方抑えながらも滲み出てくるユーモアが、本作に大きな面白味ってのをもたらしてくれていたなぁと。
その他、『ペントハウス』のアラン・アルダや、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のエイミー・ライアン、『アンノウン』のセバスチャン・コッホに、『セッション』のオースティン・ストウェルといった顔触れが出演。長尺のメジャー作品だと集客と観客の集中力を途切れさせない為に小さな役柄に大物を起用したりするが、そんな小手先に頼らず作品バランスと役柄に沿った実力者を揃えてるってのも嬉しかった作品で。
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