2014年 イギリス映画 129分 アクション 採点★★★★
海中からザバザバーっとタコみたいな秘密基地が浮上してきたり、火山の火口が開くと中にどこでリクルートしてきたのか分からない大量の戦闘員がいる秘密基地があったりする、そんなスパイ映画ってホントなくなっちゃいましたねぇ。あっても大抵ネタ扱いですし。「現実味がない!」ってのが理由なんでしょうねぇ。確かにジェイソン・ボーンみたいな、リアル志向のアメリカ産スパイ映画にそういうのが出てくると現実味がないですけど、そこに高級スーツを着た英国スパイが立つと違和感がないんですよねぇ。そういう、そもそもからして違う英国スパイと米国スパイ映画なんですけど、どうも最近は本家のジェームズ・ボンドがどんどん米国化していってる印象も。
【ストーリー】
貧困地区で暮らすチンピラ青年エグジーの前に現れた英国紳士のハリー。表向きは高級紳士服店の仕立て職人だが、実はどの国家にも属さない国際的諜報組織“キングスマン”のエージェントであるハリーは、欠員の出て枠の空いたチームのメンバー候補としてエグジーをスカウトする。17年前に命を落とした父親もエージェントであることを知ったエグジーは過酷な新人試験に身を投じる一方で、ハリーはIT大富豪のリッチモンドが企てる世界規模の陰謀の謎を追い…。
『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』のマシュー・ヴォーンと原作者のマーク・ミラーが『キック・アス』に続いて手を組んだ、60年代スパイ映画風味に溢れたアクション。
米国化の進む本家007に対する皮肉かのように、MTVインベイジョンを痛烈に皮肉ったダイアー・ストレイツの“マネー・フォー・ナッシング”で幕を開けてから、英国式ダンディズムの権化のようなブライアン・フェリーの“スレイブ・トゥ・ラブ”で幕を閉じるまで、ずーっと楽しかった本作。身体的欠損のある殺し屋を従え巨大な秘密基地を持つ大富豪の地球規模の悪巧みに対し、数々の面白ガジェットを使いこなす英国紳士が立ち向かうという過剰なまでの60年代設定に「そうそうコレ!こういうの観たかったの!」と喜び、マシュー・ヴォーンらしい絵と音楽の融合が生み出すリズムに身を委ね胸を躍らせる至福の2時間。同じアプローチで同様の映像的快感を生み出しながらも、レナード・スキナードの“フリーバード”をバックにした教会内大殺戮のシーンにはサスペンスと恐怖感を漂わせ、“威風堂々”をバックにした大花火大会では爆笑させる、使い分けの巧みさも見事の一言。
また、ラストで同じセリフが使われる『大逆転』など映画ネタも多く、全てのシーンをもっと掘り下げてみたくなる映画ファンに向けたとっておきのプレゼントみたいな一本に仕上がってるのも嬉しい。
ただ、一見映画ファンに向けた内輪ネタと懐古趣味の作品と思えるが、もちろん本作はそれだけの作品にあらず。
同じマーク・ミラーの『ウォンテッド』の英国スパイ版でしかないようにも思える本作。眠れる才能が開花する若者のサクセスストーリーのようにも。もちろんその側面もあるが、本作で描いているのは姿かたちを変えて現代まで脈々と続く階級社会に対する痛烈な皮肉。自由と平等を謳いながらも、支配階級と支配される平民との関係性が変わっていない状況をより明確にする方法として、王族貴族文化が根付く英国を舞台に、そしてその英国らしさが極端に出るとして60年代スパイ映画の風味を用いたのではと。もちろん「そういう映画が好き!」ってのもたっぷりと含まれてますが、その再現だけではあらず。
上流階級の人間でのみ構成され、何処の国家にも属さない半面、“正義”の決定が主観的になる危険性をはらんでいるキングスマンという組織そのものが階級社会を象徴している本作。その組織の在り方に疑問と限界を感じているハリーによって平民の子が送り込まれ、その平民の子が組織に大変革を巻き起こす。先に挙げた『大逆転』はネタとしてのみならず、テーマの中にも活かされている。また、支配階級にいる人間の多くがリッチモンドに賛同し、平民を見捨てる選択を取る様もこの作品が描こうとしている構図を明確に。
これがアメリカ映画であれば、『マトリックス』のように平民が支配階級を打倒し「自由だー!」と叫んでお終いなんでしょうが、さすがイギリス人。そういう風には考えない。階級社会を皮肉りはすれど否定はせず。平民を見捨てなかったマシな支配階級が残るって選択を。「自由も大切だけど、秩序のない自由ってのは考えものだよなぁ」と、普段は“欧米人”とひと括りにしちゃいがちなアメリカとイギリスの明確な違いってのも見させられた一本で。
絵に描いたような英国紳士であるハリーに扮したのは、かつてジェームズ・ボンドの候補として名前も挙がったことのある『デビルズ・ノット』のコリン・ファース。“英国紳士”で画像検索すると、タイプは違うけどジョン・クリーズなんかと一緒に上位に出てきそう。いつも不機嫌で神経質そうな上に物言いが上からなのに嫌味になり過ぎず、常に冷静沈着で表情一つ変えないのにひょんな事でその表情が崩れると、そのギャップからか男の私でもグッときてしまう、そんな英国スパイのお手本のようなハリーを好演。もう“好演”というより、コリン・ファースありき。退場の穴は、あの大花火大会をもってしても埋まらず。にしても、このハリーを見てるとスーツってのはヨーロッパ人の為にあるんだなぁと痛感。
そんなハリーの後を継ぐには、新鋭のタロン・エガートやソフィー・クックソンらではちょっと弱すぎる印象があった本作。ただ、その分過剰なまでのアメリカ人を嬉々として演じてた『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』のサミュエル・L・ジャクソンや、最近優しい執事役ばかり見てたのでこういう言葉の端端にアイロニーが出てくる役柄が見れて嬉しかった『インターステラー』のマイケル・ケイン、魔術師ってよりはまんま優しさ隠した鬼教官だった『ロビン・フッド』のマーク・ストロング、予告編の時点で傑作を確信させた義足の女殺し屋に扮したソフィア・ブテラに、劇場で見るのは久しぶりの上にしょぼくれ具合がなんかロディ・マクドウォールみたいだった『ジェイ&サイレント・ボブ 帝国への逆襲』マーク・ハミルらが存分に穴埋め。
今のところアナウンスはされてませんが、是非とも続編を作っていただきたい本作。ただ、コリン・ファース抜きの若手中心となるとちょっと弱いので、円卓の騎士に倣って12人はいるであろうキングスマンの中にレイフ・ファインズ的なクラスの大物を投入するか、「実はハリーは…」で再登板してもらえたらと。出来れば後者で。
同じスーツを着ても絶対こうはなれない
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