1985年 アメリカ映画 102分 ホラー 採点★★★★
2006年の1月から書き始めて、なんやかんやと9年以上も続けてしまったこのサブタレ。ま、他のものに興味が移ると平気で記事と記事の間を2年空ける性分なんで、実際の期間はもっと短いんですが、9年存在してたのだけは間違いなし。記事数もこの記事でちょうど1500本目。日記すら続けられないくせに、よくもまぁ似たようなのを1500本も書いたものだと自ら驚きを。で、前回1000本目の記事に思い入れ映画ナンバーワンである『ランボー』を選ばせてもらったので、今回はやっぱり“死霊”だろうと。なにが“やっぱり”なのかは不明ですけど、とりあえず“死霊”。“死霊の○○”とか好きですし。「好きですし」と言いつつも、これまで一本も“死霊”と付く作品レビューがないことに今気が付きましたけど。まぁ、これが1500本目になることすらさっき気が付いたんですけどね。
【ストーリー】
蘇った死体は増え続け、今では地上を全て埋め尽くすまでとなっていた。一方、辛うじて生き残った軍人と科学者の少人数グループは地下施設内でゾンビ対策の研究を続けていたが、苛酷な環境の中で彼らの間の不協和音は日増しに大きくなっていき…。
『サバイバル・オブ・ザ・デッド』のジョージ・A・ロメロによる、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』『ゾンビ』に続くリビング・デッド三部作の最終章。この後『ランド・オブ・ザ・デッド』で再始動しますけど、そっからの三本は別物として捉えた方がいいのかなと。メイキングドキュメンタリーの中でロメロが「三部作の中でこれが一番好きだという変わり者もいる」と仰っておられましたが、ハイハイ私がその変わり者。夢と妄想がバンバン膨らむ『ゾンビ』も大好きですが、陰惨さ際立つ本作がやっぱり一番好き。
当初は700万ドルの予算で、多くの野外シーンやゾンビと軍の壮絶なバトルも描く予定で脚本を完成させるも、一気に予算を半分の350万ドルにまで減らされ、ピッツバーグに実在する山を削った地下倉庫内で、軍人と科学者が延々と丁々発止を繰り広げる作品へとスケールダウンを強いられることとなったのは有名な話。もちろん理想通りに作られていれば、それまで観たことのないスケールの大きなゾンビ映画が完成していたであろうし、それを目にした観客は大きな驚きと興奮に包まれていたかも知れないが、映画に限らず物作りは厳しい制約の下で試行錯誤と四苦八苦を積み重ねた物の方が良品であったりすることが多いのも事実。本作もまた、苦肉の策での密室劇であったからこそ、人類の置かれた状況の過酷さや全く見えない将来への展望に対する絶望感、当時の世相を表したドン詰まり感がより一層深く出せたのではないかと。
政治的にクリーンで人権派を標榜しながらも、『アルゴ』でも描かれた“イランアメリカ大使館人質事件”では、その弱腰っぷりから解決の糸口すら見出せなかった大統領ジミー・カーター。その理想こそ高いが現実的な解決策や実行力に乏しいリベラル政治にウンザリしたアメリカ人が次に選んだのが、俳優出身でタカ派のロナルド・レーガン。しかしながら、その強硬的な姿勢から中南米政策は混沌を極め、日本製品の大躍進もあり国内経済も疲弊。右を向いても左を向いてもドン詰まりだった80年代のアメリカ。前2作もそうであったが、その世相がこれまた色濃く出た本作。
本作には3種類の人種が登場している。
ゾンビに対する根本的解決策を模索するも、時間と物資を浪費するだけで解決策が全く見つからない上に、仕舞いには「飼い馴らせばいいんじゃね?」と、物理的にも現実的にも実現不可能な理想論をぶち上げる科学者。
銃を振りかざして威圧するだけでこれまた解決策など何もなく、ヘリに乗って何処かへ逃げればいいと考えてるようだが、何処に逃げればいいのかは分かっていない、いや、逃げ場などもうないことは分かっているが、その現実を認めたくはないだけの軍人。
そして、彼らから課せられた仕事以外での接点を絶ち、自由気ままな地下ライフを満喫するパイロットと技術者。
人類存亡の危機を救う目的は虚無に覆われ、彼らはただ己の主張だけを叫んでいがみ合う。希望などほとんど残っておらず、事実彼らの前には明るい未来はない。こんな陰鬱な世界で唯一の希望の光となっているのが、生きているころの記憶と習慣が僅かばかりに残っているゾンビ“バブ”だという皮肉。こんな人間たちに任せるくらいなら、ゾンビの方がまだマシだという強烈なメッセージが突き刺さってくる。
それにしても、このバブが素晴らしい。バブを発明したことが本作を成功させた最大の要因であると同時に、この後のゾンビ映画にとっても最高の発明だったのでは。
生きてた頃はそれなりに立派な大人だったであろうに、ゾンビになったらちょいとイカレた博士に首輪を付けられ飼われるバブ。そもそも“バブ”って本名じゃないのに。この、スタート地点から既に切ないバブの、身体の自由がまだ上手く利かない赤子のような動きや表情が見事。擬似父子関係として描かれる博士の一挙一動を目で追い、博士が望んでいることを足りないにも程がある脳で必死に考え、褒美の肉のためとは言え博士の喜ぶ顔に彼自身喜びを感じる様を、微に入り細に入り表現して見せたシャーマン・ハワードは見事。彼の思いつきとアドリブから生まれたという、バブが音楽を聴き驚きの表情を見せるシーンなどは、ゾンビに人間性が生まれる瞬間を描いたまさに名シーンである。
また、序盤にもゾンビが恐怖するシーンが描かれているが、やはりバブが博士の死を知り慟哭するシーンは衝撃的。細かいことではあるが、知性も感情もないただ“食べる”という本能だけで動いている死体が、博士という個体を認識し、それが生きていないこを認知し、“悲しい”という感情が生み出される。これはウチの猫が唐突に「オイ、飯くれや」と話しかけてくる以上に衝撃的だ。リチャード・マシスンの“地球最後の男”が『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』に与えた影響を考えれば当然なのだが、本作が種の逆転の物語であることがここで決定的になる。繁殖もしないので反映も難しいし、なんといっても臭いがきつそうな世界ではあるが、まさしく“死者の日”がやってくることを高らかに宣言したのが、この慟哭のシーンと後のクールすぎるバブの敬礼姿なのだろうなぁと。
本作を語る上で、やはり忘れてはならないのがトム・サヴィーニによる特殊メイク。
『13日の金曜日・完結編』『クリープショー』などなど、これまでも様々な作品を血塗れにしてきたトム・サヴィーニだが、本作での仕事っぷりは自他とも認める彼の最高傑作。
オープニングに登場する、下顎が欠損し舌がデロリンと垂れ下がった“ドクター・タン”や、スコップで切断された頭部の目玉がギョロギョロ動くメカニカルなものから、腕切断シーンに見られるシンプルながらも観客の思い込みと目の錯覚を利用したものまで、彼のテクニックをこれでもかと堪能できる、これぞトム・サヴィーニ大百科。それも、オールカラー。
その中でも、ベッドから起き上がるゾンビの腹部から内臓がボタボタとこぼれ落ちるシーンの衝撃たるや。初めて劇場で観た時は、「え?どっからどこまで生身なの?メカなの?」と大いに驚き混乱したもので。これもまた、サヴィーニお得意の思い込みと錯覚を利用したエフェクトなのだが、このよりリアルな物やグロい物を作ろうってよりも、如何に観客を驚かせる物を作ろうとするサヴィーニのエンタメ精神が大好き。例えば『ローズマリー』での頭に短刀が突き刺さるシーン。突き刺さって血が噴出すだけで十分ゴアで「ウェッ!」となるのだが、サヴィーニはそこから犠牲者の目玉をグリンと白目に回転させて観客を驚かせる。そのもう一歩先に行こうとするスタイルに敬服止まず。
因みに、今では特殊メイク界の最大手となったKNBエフェクトグループの創設者の一人グレゴリー・ニコテロが、役者として軍人の一人、またサヴィーニのアシスタントとしても参加。最近は役者サヴィーニとしてしか見ていないのは寂しい限りなんですが、その遺伝子はしっかりと受け継がれているんだなぁと。
死者の惑星ビギニング
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