監督 マット・リーヴス 主演 マイケル・スタール=デヴィッド
2008年 アメリカ映画 85分 パニック 採点★★★★★
今更わざわざここで書くことでもないような気もするんですが、原爆や大空襲の恐怖やなす術のない絶望感を、黒く巨大な“なにか”に具象化したのが、第一作目の『ゴジラ』。戦争の記憶がまだ生々しく残っていた当時の観客が、『ゴジラ』により身近な恐怖を感じたことは想像しがたくない。しかし、時代が過ぎ去り戦禍の記憶を持たない世代が増えてくると、ゴジラや他の怪獣らが持つ意味合いに変化が訪れる。彼らは恐怖の象徴としてではなく、「
街がメチャクチャになったらスゲー!」という観客に秘められた暗い願望を実現してくれる存在として歓迎されることと。

【ストーリー】
ニューヨーク。ロブの日本への栄転を祝ってパーティーが行われている最中、巨大な“それ”が上陸。“それ”が破壊と殺戮を繰り広げ街中が大パニックに陥る中、ロブは仲間と共に恋人を救う為に駆け回るが…。

本土攻撃の経験がないせいか、破壊をエンタテイメントとして楽しむハリウッド。それこそ、破壊描写の進化がそのまんまハリウッド映画の歴史とも言えるのでは。人災であれ天災であれ、観客の度肝を抜く破壊描写が留まることのないエスカレートをしていったのだが、あの“9.11”で事態が一変。高層ビルに旅客機が突っ込むという、ジョエル・シルヴァーあたりが考え付きそうな事件が、現実に起きてしまう。世界中に配信されたその瞬間の映像は、被写体との距離、角度、巻き上がる黒煙、降り注ぐ大量の書類、展開ともに
映像として完璧であった。しかし、その完璧な映像には“死者数千人”という絵空事ではない事実も付いてきた。アメリカ中を震撼させ打ちのめしたこの事件は、当然の如くハリウッドにも大きな影響を与えたのはご存知の通り。ストーリーに与えた影響はもちろんのこと、これまでのエンタテイメント性を重視した破壊描写は鳴りを潜めるか、ひたすら絵空事として展開することになったのだが、9.11を追体験させる『
ユナイテッド93』あたりを節目に、9.11を作品内に上手く消化させた作品が現れ始めた。

前置きばかり長くなってしまったが、『
M:i:III』や“LOST”のJ・J・エイブラムス製作による本作。本人も「日本へ行った時に〜」と言っている様に、ざっくりと言ってしまえば“アメリカでもゴジラみたいなのを作ったる!”という作品。以前にも、ローランド・エメリッヒによる
巨大イグアナが高層ビルの間をちょこまかと走り回る『GODZILLA ゴジラ』があったにはあったが、あのイグアナは何かを象徴しているわけでもなく、その時点でもう既にゴジラでもなかった。まぁ、後に“GODZILLA”から“GOD”を抜いたゴジラに似て非なる
単なるジラであることが判明するんですが。しかしながら、本作の理由こそ分からないが強烈な“怒り”を持ってニューヨークを壊滅に陥れる“あれ”は、明らかに“歩く9.11”。市民レベルでは
皆目見当の付かぬまま猛烈な怒りをぶつけられる様もしかり。ひたすら混乱に陥るしか術はない。“怪獣映画を作る”という意気込みは、往年の日本特撮映画を思い出させるエンディング曲にも垣間見れる。その志は立派。

“事件現場から発見された、その状況を撮っていたビデオカメラの映像を観る”という、
でかいハッタリから幕を開ける本作。公開前からネットを中心に様々かつ核心には触れない映像を大量に流し人々の関心を煽り、“発見されたフィルムをそのまんま流します”ってハッタリも、一人称視点に固定されているが故に視野も情報も限られ登場人物同様に観客をも混乱に陥れる手法は、もちろん『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』と同様。『食人族』でもよし。鮮明な画像上で展開する驚愕の出来事というのは、鮮明であればあるほど、リアルであればあるほど“良く出来た映像”にしか見えないのだが、荒れたビデオの映像というのは“ビデオが加工されているわけがない”と脳内での約束事があるのか、そのものを
そのまんま映し出していると錯覚を起こしてしまう。肝心なものをハッキリと捉えないじらし加減や、無名に近い役者の顔ぶれも、その効果を高めている。ハッタリと荒れた映像が生み出す臨場感、そして仄かに匂わす裏設定の効果があったからこそ、
画面一杯に大きく広がった鼻の穴から鼻水が止めどなく流れ落ちる様しか映っていなくても、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は他では味わえない不気味さを堪能できた。そして本作は更に、編集と徐々に“あれ”の全容が明らかになっていく構成の上手さ、まるでクトゥルーの邪神かのような人智を超えた“あれ”の不気味さ、そして徹底した視点の固定と情報の制限によって見事な臨場感と緊迫感を生み出している。もちろんそれを生み出しているのが、一見ダラダラと他愛のない会話が続いている様にも見えるパーティ部分と、“重ね撮りをしてしまった”という設定のもと時折垣間見える幸せな日々の映像の積み重ねで、人物の関係図や心情、性格を明確にするドラマの土台がしっかりしているからなのですが。

冷静に考えれば、確かに
本作には一切の新味がない。何か教訓を得ようにも、精々“とんでもないことが起こったら、無理せず逃げた方がいい”くらいしか得ることはない。人間ドラマはベタであるし、巨大なる“あれ”は『ゴジラ』から、ハッタリと前置きと手法は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』から、クライマックスのサイレンの音は『
ユナイテッド93』の警告音を髣髴させ、転がる自由の女神の首は『ニューヨーク1997』のポスターイメージからと、一事が万事借り物ではある。しかし、それらの借り物とハッタリと発想の転換が全て完璧にかみ合い、事前に想像していた“『ゴジラ』+『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』”という
恐ろしくダメっぽいイメージを払拭してなお有り余る面白さを持っているのも事実。『
ユナイテッド93』が、観客も知っている事前知識と“あったであろう”出来事を再現し、実際にあった事件を追体験させたのに対し、本作はまだ誰も経験したことがないどころか、ありえないことをあたかも実体験してしまったかのような錯覚すら起こさせる。そんな、
したこともない体験を体験させる本作には、何を言われようがこの評価で。そもそも怪獣好きですし、「ホントに怪獣出てきちゃったら、どうなるんだろ?」という身の回りの疑問と興味を映像化してくれた喜びは大きい。

さて、早くも続編の製作がアナウンスされている本作。得てして続編となると、何か増えてみたり、前作の謎の解明に終始しちゃったりするんですが、どうなることやら。確かに本作にも劇中では触れられない、主人公の勤める会社と“あれ”に因果関係が裏設定にあるにはあるようですが、その辺を明確にしちゃうと主人公と変な因縁ばかりが目立つ只の怪獣映画になってしまう所を、本編で語らなかったが故に見事な混乱を生み出していたとも。出来れば続編も安易なビギニングや後日譚、はたまた原因解明しちゃって神秘性を損なうようなことは避けてくれればなぁと。せっかく『
unknown アンノウン』のクリス・マルキーが出てたんだから、軍部とか同じ時間の別視点で何本か作って、全体を通すと
ぼんやりがほんの少しだけ晴れるようなシリーズになってくれたらなぁと。
それにしても、本作は2008年を代表する事件というか、学校行って開口一番「クローバーフィールド観た?」が
合言葉になるだけの作品のような気もするんですが、どうにも煽りとかお祭り騒ぎが少ないような気も。勝手にイカシタ名前を“あれ”につけ、事前に騒いで煽って煽って煽り倒してナンボの作品だと思うんですが。TVを付ければ、各々の局のドラマの劇場版という名の拡大版の宣伝ばかりですし。なんかこう、映画をとことん遊び倒すって時代じゃないんですかねぇ。

体験中は私もずっとこんな顔
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